あるとき、、、あのとき、、、自らが、ご自身のためにと思うならば、他者を、巻き込まず、依存することなく、ことを為していくこと、、、


いま、理由は、なんでも、よいのです、、、


本気度の問題です、、、


自分が、成したいことのために、誰かを、頼って、その要素を含ませたまま、ことをなせることは、ありません、、、


わたしに、会いたい理由が、なんであったか、まず、考えること、、、


自分の消費欲求に、私を使わないでください、、、


私は、口も、悪いです、、、はっきり、言いますから、、、


今日、この忙しいなかにも、会いに来てくれたかたがいましたが、農作業、手伝いながら、こんな話をしていました、、、


一万人の心を動かすひとになれ、、、


そのために、その舞台が、三分間であっても、三百時間、そのために、時間をかけることが、芸といわれるものです、、、


三分のために、三百時間かけれるひとは、少ないと思うけれども、芸事、芸術とは、そういうものです、、、


三分のためと、三百時間と思うことも、あるけれど、その三分で、一万人の心を動かすひとになりなさいと、お伝えしました、、、


くる必要はありません、私は、誰も、待ちません、、、


ご自身の言い訳を、伝える必要はありません、、、私に、あうひとは、会おうとして、かなった人は、わたしを、待たせません、、、


私が、待ちませんから、、、


自分のことも、決めれないのに、何が、出来るのですか、、、


私に、あう理由がないのに、来るという、話しを伝えぬように、、、


車中泊しながら、くる方もいます、、、わたしは、畑の中で、話を聞き、話をします、、、


写真はとれませんし、録音もできません、、、


お泊めも、しなくなりました、、、千葉県の千葉さんの一件があり、あの後は、誰も、泊まれなくなりました、、、これからも、誰も、泊めません、、、関係ないようでも、、、あるのです、、、


わたしが、泊めたくなくなった、理由は、成立しましたから、、、テントなら貸しますが、クマが出ます、、、


事件になりますから、それも、無理です、、、


自分のためだけに、生きる人を、個別に、相手をしないことにしました、、、これも、理由があります、、、


少なくとも、分野を牽引したり、私の理解者であったり、未来を、いま、なせることを、見つけている方に、限定しています、、、





いま、世界のスタンダードでは、価値のあるものには、必ず、価値に見合う金額がつくというのがあります、、、これは、聖書にも、あり、ユダヤの根幹にもありますから、価値のあるものは、価値のあるものとして、扱わなかった人は、干されたり、消えていきます、、、


それは、この扉をあけてはならないと、ドアノブにつられたり、不審ななくなり方になります、、、


例えば、ガンのビジネスは、たくさんの利権があります、これを壊すものは、そう、干されます、、、価値があるものを、無価値にしてはなりません、、、


三人の奴隷に、一枚ずつ、銀貨を与える話があります、、、


知っていますか?


それぞれの奴隷が、その銀貨をどのようにあつかったか、、、


あとから、主人が、尋ねたとき、三人、それぞれ、答えます、、、


それが、いまの世界のスタンダード、基準になっています、、、


こなくてよいので、それを、お調べください、、、


いまの世界のスタンダードは、最近、敷かれたものではありません、、、これは、旧約聖書の中にあります、、、


ですから、自分の行動原理が、どこにあるか、どうであるかで、わかることがあります、、、


それを、踏まえて、思案ください、、、


前回、わたしは、もう、待ちませんと、伝えてあります、、、あなたのために、七月は潰したのです、、、あなたの言葉は、信じません、、、


言葉と、行動が、一致しないうちは、コメント不要です、、、


七月の不信感、続いています、またかと、思いたくないので、関わらないように、なぜなら、私が、あなたに、あう理由が無いからです、、、


コメント承認しない件、了解しました、削除済みです、、、


でも、わたしにも、ひとこと、いわせてもらいました、、、


強くなって、アプローチください、、、いまの状態で、来たいと言われても、お断りします、、、一年間は、お控えください、、、