身体の中に、清濁があり、その分別、分類が、できる状態の身体であれば、身体は、けがれをはらいます、、、それを、分かつことができなくなった状態が、にごりです、、、


言葉というものは、既存にあるものの意識付けにより、縛られたり、囲われたり、囚われたりします。


その解放も、言葉であるわけです、、、


音も、同じです、、、


いかに、はたらきを為して、その場に、はたらきを遺せるか、、、過去に、未来に通じて、祈りを、風に吹かせてとどけるか、、、


昔、太古からの祈りというものがありました、、、


それが、数年前から、弱くなりはじめ、消えるところも、あらわれました、、、


もともと、動かないと思っていたひかりの空間が、動き出したり、、移動したあと、蘇らなかったり、また、新しく生まれたり、、、でも、最近は、消えてゆくばかりです、、、


それと、同じくして、この世が、前にもまして、荒れ始めました、、、とどまることのない、終焉に向かうかのような、ありさまです、、、


わたしは、いま、自分だけのことを、考えて、のみ、動く人が、心配です、、、


それは、大津波にあったあと、まったいらな荒野のなかにある、無傷の百年住宅のようで、、、町が、コミュニティーが消失しても、ポツンと遺されて、誰も、何もいない、復興する前に、町は流されて、すべてが変わっても、何もかわらない、、、くらい堅固で、周りをかえりみていない、、、


そうであっても、地盤から、ひっくり返ってしまっては、もう、元に戻すことはできません、、、


堅固、故の過信や、盲信、、、その間に、変化するときを失い、時は止まります、、、


守りたいものが、まわりに無いような…生き方と言うものは、あらゆるものが無くなっても、関係ないと言い切れます、、、


いまは、それが、大半になりつつあり、誰も、改心、律し、調え、時をみる、まわりを見渡すことは無いのです、、、


いま、レプリコンで、騒いでいる方々も、対処を考えている人、そんなにはいません、今回の七回目までも、そうでした、、、製品にたより、クチコミにたより、あれがよい、これがよい、、、


あれとは、総称であり、これというものでなく、手作りでもありません、、、


昔は、どんなものも、最初から、最後まで、関わっていたのに、、、


古来、都に住む者等が、短命であったのは、分業というシステムを始めたからです、、、一般的な寿命の半分しか生きれない都、、、それより、里に、錦を飾るのは、地方で、おくにで、よかったのではないですか?学ぶときを経たならば、、、


手作りのよさ、、、考えてください、、、


己の手で、何を為すか、、、何のために、生まれてきて、この時を、どうみるか、、、


わたしは、あなたに、会えて、嬉しかった、、、車が通り過ぎる、その瞬間、あのひとだと、認識して、挨拶を交わし、遠ざかるまでの、視界から消えるまでの、数秒、、、それでも、じゅうぶんに、あえて、よかったと、あなたは、つたえ、うけとり、こころのひだに、相手の気持ちを、添わせれますか、、、


悲しいとき、ツラいとき、身体が叫んでいる、苦しさを、、、うつすことは、野暮ですか?


愚かなこと、感じすぎる、感応、無関心、万歳、、、世界が無くなっても、自分は、自分、関係ないね、、、利用できるひとものがあれば、よい、、、



悲しみや、苦しみに叫んでいる者等の叫び声は、無声の波動となって、震えているのが、シェディングです、、、


あるとき、皆さんは、私を、探そうとします、、、


それまでに、己を、育て、鍛えてください、、、


なにかを、なしえるものに、なっておいてください、、、


もうすぐ、朝です、、、


おはようございます、、、