おはようございます。


わたしが、評価に対して、一喜一憂するさまは、醜いと思う理由なのですが、、、評価されながら、芸術、音楽家としての、生涯、人生を、歩んだひとは、とても少ないと感じているからです、、、


ですから、ストリート演奏したから、拍手もらったから、いい気分になったから、それを評価として、私にも、同意しろと言うようなことを、おくられたとき、ものすごく、残念になったのです、、、


曲というものが、生前発表されなかったり、出来なかったり、その時代には、価値が認められず、評価されなくて、なくなったあとに、時のいたりが重なり、陽の目を見て、ようやく、知られ、それを、演奏家達の表現力によって、再現され、いまはなき、作曲者、作曲家に、どうでしょうかと、寝ても、覚めても、その一心、専心に、そのものに、奏すことに、時をかけて、自分は、そのうち、消えていることに、気がつくのです、、、


と、感じ、思っていますから、、、


元々のひとが、、、評価されなかった不遇なときを考えますと、、、


ストリートでの一喜一憂をお伝えいただいて、歓喜されたくないのです、、、


そして、それを、私に、言わなくても、よいことだと思うのですよ、、、


音を出すだけで、川の魚は跳ねて、鳥は集まり、海の魚が浮いてきて、、、


ひとにおいて、よかったわといわれたら、そのまま、胸にしまっときなさい、、、


それよりも、作曲者に、この場に、自分がお世話になった方々に祈りなさい、、、


権威がある方が、評価してくれるのを、待つならば、日々、その流れをまわり、己を保てばよいのです、、、わたしは、その権威者ではない、、、


前から、言っています、、、対象を、ひとに限定するなと、、、


その場への奉納であるならば、その場を感じていなさい、、、風が変わりましたか?水は、空は、植わっているものは、動けるものたちは、、、そして、評価していない、ひとのなみや、表情は、車の流れや、ひとに、心がよみがえりましたか?






拍手をしてくれたことに、心を奪われ、まわりを見ずに、感じることができるのは、、、


誰も、近寄ってこないときの方が、長けています、、、


だからですよ、、、ひとの意識の少ないところに於いての変化を、大切にしてほしいわけです、、、


天空に、地の底に、流れゆく川の水に、海まで届けと、そうするとき、どうしたら、よいでしょう、、、


わたしは、いま、前より、弱っていますが、まだ、みなより、元気なようで、脈を触れていますと、皆さんの脈が、回復します、、、


でも、わたしは、弱っています、、、


私の言葉によって生きる方もいれば、私のいのちを分けて生きる方もいます、、、


でも、わたしが、、弱っているときには、言葉によっても、生きてほしいのです、、、


施療してもらえたら、やってくれたらいい、わたしのいのちを削るのが、わかっていて、お会いしても、言葉をひとつも、受け取っていただけないときには、、、体だけでいいのか、わたしの生命力だけで、よいのか、、、それで、生かした意識は、わたしの想いを汲み取らないではないか、、、


私の想いが、長く、届きますようにと、日々を、研鑽しても、無念になるとわかってしまったら、気持ちが上向きません、、、




ひとつ、お伝えします


わたしは、ベートーベンの悲愴のアダージョが好きです。美しいと何度も泣きました、、、それよりも、かなり前になりますが、ガブリエル、フォーレの、夢のあとにを、街の商店街に流されていたのですが、歩けなくなるくらい、その場で、号泣しました。美しいと泣いたのです。ユーフォだと思います。チェロではありません、、、


わたしは、たくさんの曲をしりません、、、でも、大好きな曲が見つかってよかったと思います、、、