今朝、雨は降っていませんね。冷たい雨の中をゆくかと、心の準備をしていたのですが。 | mizunogakkouのブログ

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2025/12/24

くもり。

今日は、朝から「雨の予定」だったのに…雨がない…。思わず、「紅葉狩り」に、外苑に行った時の学生達の「ない、ない、(銀杏並木の黄色の銀杏の葉が)ない、なあんにも、ない」が口をついて出てきます(ほとんどの葉は散ってしまって、裸ん坊の木が並んでいただけ。地面に黄色の葉っぱが散っていれば未だしも、それが粉末状態で面影とてなかった)。

寒さと雨と風という、心の準備はしっかりとできていたのになあ。

昨日から「冬」で、予報では今日まで(寒さが)続くとありましたから、当然のことながら寒いだろうと。その上、雪ならぬ雨が降るとのことでしたから、「こいつあ、冷たい時雨が、降りみ降らずみと来るだろうな」と。おまけに北風のことも言っていましたから、ちゃんとした傘でなくばまずいだろうと。

ところが、風もない、雨も降っていない。トコトコと長い傘を抱えて出るしかない。出てしまったのにまた戻るのは験が悪いし、面倒だし。長い傘を抱えている方が面倒なのですけれどもね、そこまで知恵が回らなかった…

さて、学校です。

留学生たちを見ていると、なるほどなあと思うことがよくあります。自分もそうだったからと自分と比べて思ったり、当時の若い日本人たちの行動と比べてそう思ったりなのですが。

初めて、国を出て他国で生活を始めた人の場合、特に、生活が大変だったりすると、自分の国での生活を理想化しがちになるもののようです。自分の国の人は優しいとかよく言い始めますね。だいたいどこの国の人であっても、「ヒト」には変わりないわけですから、たいした違いがあるはずもない。ただ、好き嫌いや善し悪し、価値観というのは、歴史や風土、文化、宗教などによって培われてきていますから、その土地の人たちの独特の色合いなどが出てきたりする。

「お祭り」なんかもそうですね。こちら側から見て、「へえ、にぎやかだな」くらいのものであっても、彼らにすれば一年に一度の大々的な祭り。きれいな服を着、ごちそうを食べ、友だちと街に繰り出す。普段はできないことでも、このときばかりは許される。そういう楽しかったことが、というか、それのみが他を圧して蘇ってくる…。そんなことばかりじゃなかったでしょというのは、ある精神状態にある者には通用しないことなのです。

最近は、「日本にはどうして星がないのか(私…街に光が溢れているから)」とか、「お祭りの時に貧しい人に施しをしてやるのが、うれしかった(私…日本人は施しというのは嫌だなあ。仕事を紹介してやった方がいいんじゃないの)」なんてのは、あまり聞きませんが、最近も「国では何でも買ってもらえた」とか、「自分はいっぱしの者」みたいな態度を示す人がちょいちょい見受けられます。

これは日本での生活に幻滅というか、こんなはずじゃなかったと思っている人が少なからずいるからなのでしょう。

まず、英語ができると「ランクが上」意識が、こういう学校に来ている人たちには多く見られるのですが、こういう気持ちでいる限り、日本語に真面目に取り組めないようです。

以前、日本語を学びに来ていたパキスタン女性から、「国では、子どもの時から『英語さえできれば、仕事がある。豊かになれる』と教えられてきた。だから、頑張って英語を勉強してきた。日本へ来ることが決まって、うれしかった。わたしは、日本は先進国だからみんな英語ができると思っていた。ところが日本人は英語ができない。どうして英語ができないのに、日本は先進国なんだ。豊かなんだ」と言われて困ったことがありました。

他国に興味があって、その国の言葉を学ぶというのではなく、生活のために学んできた人たちは、それができるかできないかでランク付けをしてしまうようなのです(だから、自国人同士で、英語で会話をしているのでしょう。私はそんじょそこらの同国人達とは違うと見せたがって)。それが日本に来ても変わらない。ネイティブでもないのに、遣いたがり、日本にいるのに、日本語にきちんと取り組もうとしない。なぜなら、自分は英語が話せるから。

この「自国での尻尾」を速く切り落とせれば、いいのですけれども、なかなか切り落とせない人が少なくない。そういう人は、残念ながら、「日本語の試験」を受けても合格できる確率が低いということになる。

単語などの説明でも、「自分の国の言葉で書く」というのが鉄則なのですが(もし、思いつかない場合は、日本語の例文をそのまま書いておく)、英語で理解したがったり、説明したがったりする人がいて、そのたびに、これは厄介だなと思ってしまう。日本人のわたしは考えている時の言葉は日本語です。彼らだってそうでしょう。勿論、どうしても日本語に置き換えられない感情や意識の言葉というのはありますが、大抵は自分の国(地域、民族)の言葉日本語ということになる。

それを半可通の外国語で理解しようとすれば、介在するものが多ければ多いほど、元の意味から遠ざかってしまうでしょうから、あまりいいことではありませんね。

学校は月曜日から「(教員の)冬休み」が始まります。それまでに「二年生」の授業計画を練り直しておかねばなりません。間に合うかな、多分間に合うでしょう。

日々是好日