赤子は雪の中で泣いていた。
その身体には布一枚も何も纏わず、ただ手足を縮め泣いていた。頭には角があった。黒い髪を掻き分けると頭の天辺に一つ瘤のような角がある。
辺りを見渡しても誰もいない。静寂だけがある。親は何処へ行ったのか、鬼は何処へ行ったのか?私は鬼の子を抱き上げた。腹が減ったのか泣き止まない。泣くは哭く。
そんな事を考えながら私は鬼の子を家に連れ帰った。私は子を持っていない。衣とて女物しかないが裸よりはマシだ。里へ出た時、山菜や兎と着物を交換した事がある。着物を持っていた女が私に言った。

「お前さん、まだ若いんだからそんな地味な柄よりこれが良かろう。私の若い時の着物だ、もう要らねえからな」

赤い布地に白い牡丹の花が咲き乱れるように散らばって、血の中に花が咲いているような錯覚を覚えた。女の言うがまま、食べる物と交換して袖を通す事もなくしまっていた物だ。男の童だったが赤子には何を着せられているかなど分かるまい。

鬼の子は乳を欲しがるのだろうか。
思案の末に牛の乳を与えてみた。椀に注いだ乳を赤子の口元に寄せる。鬼の子はそれを飲み干した。
私も親の顔を知らぬまま育ち、里から離れ一人で生きてきた。
食糧は畑を耕し、山へ入って自分で採った。寂しいと思った事はない。
だが鬼の子を拾ってしまったのはそんな感情に動かされてしまったからなのだろうか。自問自答するが答えは出てこなかった。
鬼の子はすぐに大きくなり、その足で立ち上がり歩いた。私の着物を縫い縮め着せていたがさすがに赤い牡丹の衣は着せなかった。
赤は毒を思わせる、鬼の赤だ。
そんな風な事を考えながら違う着物を縫った。
私が山へ入ると黙って後ろから着いて来た。兎を獲れば兎を、山菜を採れば山菜を真似して採る。もう牛の乳ではなく、山菜や兎や山鳥の肉を一緒に食べた。

初めて鬼の子が言葉を発したのは歩き出し暫く経ってからの事だ。手に持った山菜を私の前に差し出し「かか」と言った。
かか、とは母の事だろう。私は鬼の子の母親となった。ならば鬼の子にも名を与えねばなるまい。私は鬼の子に『烈』という名を与えた。
きっとこの先、鬼の子はその本質を現し荒ぶるものとなるだろう。

幾つの年を烈と過ごしたか。
大きくなっても烈は何時も私の横にいた。頭の瘤はもう角といっていい程に盛り上がっている。背丈も私の頭二つは越えただろう。
それでも私を「かか」と呼び離れない。
鬼とは赤いものだと思っていたが烈は普通の人間と変わらなかった。むしろ白い肌が、その顔立ちが人間の女より美しかった。顔も素ぶりも私よりも人間らしい気がした。

また雪が降る季節を迎える。
烈が我が家へ来たのは何年前になるのだろうか。私も少し歳をとった。
甕の水に映る髪は少し白いものが増えたようだ。
烈は時折遠くを眺めるようになった。巣立ちの時が来たのだろうか。
それは突然の事だった。烈が私の前から姿を消したのだ。
ああ、やはり巣立ちの時だったのか。
私は初めて寂しいという感情がこれなのだと悟った。寂しい、烈が側に居ない事が寂しい。
吹雪の夜を共に過ごした。
寄り添い暖をとり寝た。「かか」と呼ばれて振り返ると烈がいた。
鬼童は笑う事はなかったが烈は私を必要としてくれた。
、巣立ちとは別離。
別離とは心を引き裂くもの。

どのくらいの時を一人で過ごしたのだろう。何もせず家に籠っていたようだ。烈はもう戻らないだろう。
また嵐になった。ガタガタと戸が鳴って隙間から雪が入ってくる。
いつの間にか私は寝ていたらしい。夜が明けていた。
ふと、戸口の方で音が聞こえた。
烈だ、慌てて外に出た。
誰も居ない、いや誰かいる。
背後から人の気配と雪を踏む音。
振り返るとそこには赤の光景。
白い雪の中に赤に染まった烈が立っていた。驚きはなかった。
烈は黙したまま私の前に立った。
驚きよりも嬉しさが込み上げる。
無造作にその手に握られているのは首だ。人間の女の首だ。烈は鬼の童。とうとう人を襲って喰らったか。
烈の慟哭が辺りに木霊した。
彼は泣いていた。鬼の童は声を上げ哭いている。何故だろう?
手に持った女の首をじっと見た。鬼だった。烈と同じ、頭の天辺に角を生やした女鬼。まさかと思った。これは烈の母鬼ではないのかと。
その手にあるのは本当の「かか」だろうと烈に問うてみた。烈は黙ってうなづいた。鬼童の親殺しは何を意味するのか。
背筋の凍る思いだった。そして、ある頭に浮んだ考えを取り消す事が出来なかった。カッコウの親鳥は自分で卵を温めない。モズの卵を巣から落とし、カッコウの卵をモズに育てさせる。
烈の母鬼は鬼の童を私の巣に潜り込ませたのではないのか。独り立ちする頃、烈を迎えに来たのではないのか、そして用無しとなった私を喰らおうとしたのではないのか。

それでも私を「かか」と呼ぶ鬼の童は親殺しをしたのではないのか。

私は烈に走り寄った。
その大きな身体を包み込むように抱きしめた。また烈が哭いた。
それは親を殺してしまった後悔なのかは分からない。
それでも烈は私を必要だと言っているように思えた。
私も人ではない何かになろう。
もう、私も人ではないのかもしれないが。

愛おしい我が子よ、ずっと側にいておくれ。そう願わずにはいられない。