自分は愛という言葉を使うのが苦手です。

単純になんか気恥ずかしいから(^▽^;)

でも、愛するって何だろうかってよく考えます。

相互尊重ならよく理解できます。
人間関係で最も重要なもので、最優先にすべき事柄だと思います。
相互尊重が出来ないと人間関係壊れますし、ジャイアニズム全開の人とは、自分は正直お友達にはなれませんあせる

友人関係も、会社での上下関係でも、恋人関係、親子関係、夫婦関係でも最優先した方が良いことだと思います。

しかし、相互尊重って、たとえば、法律を守るくらい当たり前のことだと思うのです。法律って、ある意味社会全体で相互尊重する事柄を決めているようなものですから。

だから、理性を鍛えていけば、大人になるにつれ、皆身につけることができることだと思います。

だけど、それは愛でしょうか?

愛って、愛情とか情愛とかいって、「情」という言葉がついたり、時には、愛憎とかいって、「憎しみ」が絡んできたり、性愛とかいって「性」が絡んできたりします。。。

愛には理性だけでは割り切れない、人間の持つ動物的な本能や情動みたいなニュアンスが含まれていると思うのです。

そして、この情動というのが厄介で、これが入った途端、人は相互尊重をできなくなったりします叫び

どんなに理性的になろうとしても、怒りや悲しみ、喜びへの渇望が沸き上がってきたりするものです。

自分は、情緒というのは、人生のスパイスみたいなもので、人間として生きていく上で、最も尊い贈り物の一つだと思っています。だけど、それが輝くのはきっと、理性という光に照らされている時だけかもしれません。

愛するということは、やっぱり難しいし、奥が深いなと思います。いくら理性的になっても、相手と自分には感情があるからです。でも、たまに、こうやってあれこれ考えることも、愛するということにつながるかもしれないと思い、つらつら書いてしまいました。

こんなことを書くと、私は愛を知っている!といって教えだす人や、あいつは愛も知らないんだ!とか言って愛のカケラもない批判をしだす人が湧くかもしれませんが、自分は愛を探し続けたいし、愛を探す人を応援したい人間なのです。