祖父が亡くなり、葬儀がありました。
百歳を越えても自分の足で歩き、食事をし、お風呂にも自分で入り、
さすがに耳は遠かったですが、会話も明晰でシャンとしたスーパーおじいちゃんでした。
明治が終わり、大正に替わったその年に産まれたとは思えないほど、
柔軟でリベラルな考え方をする人でした。
常に、新しいことを勉強し続けていたからかもしれません。
直接的、間接的に、明に暗に、受けた影響は計り知れません。
それはずっと誇りでもあり、プレッシャーでもありました。
そしてその影響はきっとこれからも、
私や、親族や、関わりのあった人達皆の中に残って行くものなんだろうと思います。
大往生を迎えた人の葬儀にはぽっかりとした明るさがあるように感じます。
寂しいけれど、悲しみは少なく、労いと感謝が溢れた時間
それもまた、間違いなく祖父が与えてくれたものでした。
ここに今居ること、
ほんとうに、有難うございます。