「にしてもいきなり車貸して、なんて言うから何があったのかと思ったよ」
恵濃の車の後部座席に持たれるように座り込んだ私は「ごめん」としか言いようがなかった。
今朝仕事のために車のエンジンをかけようとしたら全く動かず思いつく限りのことをしても動かないので、近所の車屋を呼んで代車を借りようとしたら『今点検や貸し出しでちょうどいいのがないんだよー』と言われ、親の車を借りるにも母親用の改造が施されていて私には運転しずらいことこの上ないシロモノであり、唯一思いついたあてが恵濃だったのだ。
「ちなみに原因なんだったの?」
「バッテリー駄目になってたって、ついでに色々点検してもらって明日取りに行くことにしたわ」
ちょうど休みだった恵濃が運転手を引き受けてくれたことで無事解決した。
幸い、目的地まではさほど遠くない。ちょっとしたドライブだ。
賑やかな50号線から一本脇に入ると地元民しか使わなさそうな細い道になる、ここを少し行った先が今回の目的地だ。
カーナビが目的地への到着を告げると、駐車場に赤ん坊を抱えた若い女性が見えた。
「ちょっとあの女性の側で一度車止めてくれる?」
後部座席の窓を開けて声をかければ彼女が今回の依頼人であることが確認できた。
この春息子と人生の再出発するという彼女の強い要望でここになったのだが、思ったよりも50号線から遠くないのが救いだった。
恵濃が車を駐車場に止めるので「家戻らないの?」と聞けば「せっかくだし花見しようかなって」と返してくる。恵濃は結構身軽だ。
公園に入るとそこは見渡す限りの桜の園が広がり、視界を桜と空が覆いつくす。
近所のソメイヨシノは散り始めたというのにこちらはまだ満開である。
「……すごいですね、ここ」
「山桜の名所なんですよ。水飲み場もろくにないような古くて小さい公園ですけど、好きなんです」
赤ん坊を胸に抱いた彼女に「せっかくですし散歩しましょうか」と口を開く。
彼女の三歩後ろを私と恵濃が並んで歩き、時折話をしながら美しい桜と若い母子の輝ける一瞬にカメラを向ける。
カメラを意識せず桜と幼い我が子に目を向ける若い母親の姿にほんの少しの羨ましさが沸き上がる。
もうそろそろ結婚の二文字について真剣に考えないとならないのに、私の目前にある仕事や日々の諸問題は私に結婚について考える余裕を与えてくれなかった。
「嘉苗」
「うん?」
恵濃の手が私の頭上に延びると「花びら乗ってた」と笑いながら私に渡してくる。
そう言われるとどうでもよくなってその花びらをポケットにしまい込んだ。
ふいに依頼者の親子がこちらを向くと、いたずらな春風がさあっと山桜の中を吹き渡る。
親子の門出を祝う桜吹雪に包まれた私は液晶ものぞかずにシャッターを切っていた。



モデル地:磯部桜川公園(桜川市)
西の吉野・東の桜川と呼ばれる桜の一大名所である桜川を代表する山桜のスポット。
公園内には数えきれないほどの桜が植えられ、天然記念物の桜もあるので見ごたえは充分。ぶっちゃけ公園としてはアレだけどマジでここの桜はすごい。いやほんとに。