実家にいるのがしんどい、と思うようになったのはいつぐらいからだっただろう。
大学を出た頃にはもう実家がしんどくなっていた気がする。
到底帰りたいとは思えない実家に戻ってきてぼちぼち二ヶ月がたつが、やっぱり戻って来なけりゃよかったかなあとも思う。
好きだった会社も辞めざる得なかったし、東京にいた時のように夜更けに飲みに行くことも難しい。
離れに住む祖父母を老人ホームの送迎バスに乗せたあとは母親と二人きり。
「あんた、車の免許どうにかしなさいよ」
「んー」
「そのために戻ってきたんでしょうが、わたしだって車いすなのよ?」
母は半年前にケガで歩けなくなり車いす生活になった。
それで二人いる子どものうちのどちらかに戻って来いと言い出したのが去年の10月。
年末に兄が神戸転勤の事を言い出し兄妹で散々もめた挙句、私が地元に戻ることになった。
実家に戻っても新幹線で東京に通う事も出来るだろうというのが兄の言い分だったが、会社からはやんわりと辞めることを勧められ半ばヤケクソで辞めた。
仕事は前の職場がいくつか回してくれるが収入は減ったし、何より交通費が痛い。自動車学校行くお金も正直ないのだ。
「もう少しお金溜まったら行くよ」
「アンタずっとそればっかりじゃない、足りない分出すから今月中に申し込みなさい」
「……コンビニ行ってくる」
母親の話をぶった切るように席を立って、さっさと家を出る。
うちの近所には田舎に珍しく徒歩圏内に二軒コンビニがあり、敢えて今日は少し遠いほうのコンビニに行くことにした。
地方都市の基本は車であるが、東京にいた時はペーパードライバーで運転する機会がなかった。原付は乗ってた(東京では小回り効く原付のほうが使えた)けどもう手放した。
家から歩いて10分ほどのところにある50号線を越えて、さらに旧50号線の角にあるコンビニ。その先にある小さな無人駅は私が高校時代通学に使っていた駅だった。
ぶらぶらと歩いて駅の傍へ行くと、駅の横が踏切になっている。
その踏切の中心に立つと線路が筑波山へと伸びていくのが見えた。
「……この景色はほんとに綺麗なんだよなあ」
初夏の青々とした筑波山とその上にぽっかり浮いた青い空、そして吸い込まれるように続く水戸線の線路が金属光沢を放って延びて行く。
ここにカメラがあればどういう風に撮っていただろう。普通に切り取るのでも良いが、視点を下にするか。フィルターをかけてレトロな雰囲気を出すか。
「ちょっと!」
大きなクラクションとともに車道から声がかかる。いくら本数が少ないと言えどここは現役の踏切だったことを思い出す。
「踏切の前で突っ立ってると危な……嘉苗?!」
運転席から身を乗り出した女性には見覚えがあった。
「恵濃じゃん、久しぶり」
「挨拶は良いから!危ないからコンビニ行くよ!」

*****

コンビニの前で改めて合流しなおすと確かにそこにいたのは同級生の指首恵濃だった。
最後に会ったのはたぶん2~3年ぐらい前の盆だったか、雰囲気が全然変わっていないのですぐにわかった。
「いつ帰ってきたの?」
「三か月前。ほら、うちの親車いすになったからどっちか戻って来いって言われて独身の私が戻ることになったんだよ」
「あー、そっか」
車の助手席に腰を下ろして恵濃のおごりでジュースを貰う。
「そっちは仕事帰り?」
「うん。あー、嘉苗戻ってきてたんならまた遊べるわ」
この幼馴染とは特別趣味が合う訳でもないが居心地が良くて好きだった。
「遊べるってこっちに残った奴らは?」
「休み合わなくて無理。私休みが不定期だからさあ」
フリーに切り替わったばかりで仕事がなさ過ぎて月のほとんど休みという状態の私としては、まあ遊んでやっても良いかなあという気もする。
何より家にいると母親のせいで精神衛生に悪すぎるのだ。
「じゃあ遊びたいとき連絡してよ、いま母親と二人きりの時間が長すぎてノイローゼになりそう」
「マジで?!」
今にも叫び出さんばかりの勢いでそう言いだすので、ちょっとは気分があがってきた。
初夏の筑波山にこの幼馴染。しんどい実家にも好きなものはあるのだ。



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モデル地:結城市の東結城駅わきの踏切。
線路を吸い込まんとする筑波山が魅力的な風景だが、突っ立ってると危ないのでお気を付けください。安全に撮影するなら駅のホームとか良いと思う。