「今日の台本、いいですね」
打ち合わせの初めに台本に目を通した薬師寺さんがぽつりとつぶやいた。
その褒めことばが嬉しくてガッツポーズのかわりに愛用のボールペンを握り締める。
「でも台本は台本にすぎません。それをより面白くするのは出演者であるお二人のお力ですよ」
「……そうですね」
プロデューサーが話を打ち合わせに戻す横で、私は手元の紙に視線を向けながら隅に小さく丸を書いた。
本番になっても番組進行の状態を見守るのも仕事の一つだ。まだもう少し頑張らないといけない。
これはまだ打ち合わせなのだ、本番はもっと先である。

***

番組はいつものように穏やかに進んでいく。
ラジオブース内は恒例のお悩み相談も次の質問メールになった。
「……さて、次のお悩みはラジオネーム:ピョン子さんから。
『薬師寺さん、井澄さんこんにちわ。
私は高校に入ってからずっと好きな人がいます。その人の好みのタイプになろうとこの一年頑張ってきました。ダイエットして、髪の毛を伸ばし、化粧も相手の好みに寄せようと必死に頑張ってきました。
けれどその人は最近恋人が出来てしまい、長い髪も化粧もおっくうになってきてしまいました。今更辞めるのもなんだか変な気がして……どうしたらいいでしょうか?』」
薬師寺さんの元アナウンサーらしい穏やかな口ぶりで語られると本気の悩みも妙に甘酸っぱく聞こえる。
もちろんこの人にとっては本気で悩んでいるのだろうけれど。
「珍しいですよね、こういう恋の相談拾うの」
馴染みの音声スタッフからのからかいには「たまには甘酸っぱいの入れたいじゃないですか」と適当に受け流す。
本当はただ、この質問に対する井澄明人という人間の答えを聞いてみたかっただけなのかもしれない。だから台本には双方が意見を出し合って、答えは投稿主と視聴者に委ねるようにと指示した。
「恋のお悩み、難しいですねえ」
「んー……このまま伸ばしたり化粧の好み合わせるのがしんどいなら辞めてもいいと思うんですよね。俺なら無理してまで合わせなくてもいいよって言っちゃう」
「そのままの姿を愛したい?」

「無理して俺好みの姿されたって嬉しくないじゃないですか」

その言葉がポンと腑に落ちた。
私が好きだという男は私を変えたいわけじゃなく、ただ単に目の前に好みのものがあったから拾い上げただけにすぎないのだ。
(そうか、私はこの男に何かを変えられるのが怖かったのだ)
みにくいアヒルの子が白鳥になるのは絵本の中だけで、私はこの病気が根治しない限り太る副作用の薬を永遠に飲み続けないとならない。
この男は私を変えない。変えようとも思わない。この男の中のピースにはまったのが、偶然私だった。
「お化粧品だって合う合わないがあるじゃないですか、肌質とかパーソナルカラーとかイエベ・ブルべとか。流行りだからって合わない色の服着るより、流行外れでも似合う色の服着たほうがいいと思うなあ」
「そういう考え方もありますよね、私はー……」
薬師寺さんの声が耳に入らない。
話がしたい。ただ、井澄明人とちゃんと話がした。
「CM、長めの時間取ってもらえますか。井澄くんと話したいので」
プロデューサーにそう言うと「2分までね」と指を立てた。