わたしが一番きれいだったとき、なんてあったっけ。
もう今ではすっかり思い出せなくなってしまった。
目前にいるのはぶくぶくと太り、持病の薬が手放せないまま30を過ぎた、小汚い自分のみ。
そんな人間のちっぽけなプライドは今日も私の人生を遮っている。
「木村さんって見た目の割に食べないですよね」
早朝のラジオ局近くの定食屋の隅で若いアシスタントディレクターがそう言った。
小盛のごはんと味噌汁に小鉢が3つだけの質素なセットは、大きな体に不釣り合いに見えるのだろう。
「馬鹿、木村ちゃんの身体は病気のもんなんだよ!」
長い付き合いのプロデューサーがどやしつけるがフォローの仕方が違うだろう、と思ってしまう。
なおも若いアシスタントディレクターは若さゆえの無鉄砲さで「病気で太るってどういうことですか?」と聞いてくる。
「持病の薬の副作用で太りやすくなってるんです」
この説明も慣れたしそれを憐れまれるのも慣れた。
好きで太ったわけじゃないし、怠慢だとか気のゆるみだとかそういうものではない。
「そういう事なんですね、じゃあ結婚とかも大変でしょー?「オイ!」
無遠慮過ぎる発言が再び耳に突き刺さる。
この事についてはもう怒りも悲しみも尽き果てて、機械的に語るのみだ。
「まあ、そうですね……ごちそうさまでした」
「木村ちゃんごめんね「ならここはプロデューサーの驕りでお願いします」
大した額じゃないがそれぐらいは良かろうと目で告げれば「そうね」とプロデューサーが告げる。
じゃあと言って店を出ると町は清らかな青空で、カーブミラーに写る淀んで醜い自分が不釣り合いだった。

***

家に帰る前に蔵前の事務所に顔を出そう、と思ってスクーターを走らせる。
隅田川沿いの蔵前橋の見えるレトロな倉庫は戦前からのもので、倉庫ではないぞと主張するように入り口には大きく木村芸能処の木製看板が掲げられていた。
二階への直通階段を上りチャイムを鳴らすと「はぁい」としわがれたなじみ深い声がする。
「どーぞ♡」
玄関を開けて出迎えてきたのは木村芸能処社長にして日本最高齢の夫婦漫才師、そして私の愛すべき東京のオヤジ・木村松太郎であった。
「はよーございます、今日もおふくろさんの真似が相変わらず上手なことで」
「同然だろー?」
江戸っ子気質を今に残す親父さんはカッカッと愉快そうに笑う。
「おふくろさん散歩ですか」
「亭主を置いてなー、飯食ってくか?」
「大丈夫です。ただ親父さんの顔見たくなっただけで」
「……また誰かにやなこと言われたかぁ?」
親父さんは私の実父よりも父のようで、いつも私を見透かしてくる。
会うといつだって元気にしてくれる。昔からこの人はそういう人なのだ。
私が持病持ちの醜い度会智幸ではなく華やかなテレビやラジオの世界で生きる放送作家の木村千金として生きられるのは、この人がいるからだ。
「まあ、そんなとこです」
「ったく、お前のこと悪く言う奴ぁ俺が懲らしめてやっからな!俺の値千金の女だからな、おめーはよ」
親父さんは私を値千金の女だから千金だ、と言ってくれる。
それが何よりも嬉しくて、聞くだけで生きる勇気が湧いてくる。
「はい」
「あらあら、玄関前で浮気の相談かしら~?」
どこか愉快気にそう笑うのはおふくろさんこと木村うめ子、親父さんの人生と芸の相棒たる人だった。
「おかえりなさい、おふくろさん」
「ちーちゃん朝ごはん食べてきなさい」
「大丈夫です、ただ親父さんとおふくろさんの顔見たくて寄っただけなんで」
「あらそうなの?」
私はそう告げて二人のもとを去る。
スマホを付ければ木村芸能処の先輩分である岸菜さんからメールが来ている。おそらくラジオの感想だろう。
(……ここにいて良かった)
値千金の面白い人間で居られる場所のある喜びが、そこにある。
女としての価値はもうとっくの昔に死んだ。
面白い人間としての私のみが、価値のある存在としてただこの世界に生きる理由として残っていた。



まさかの男女メインのお話。果たしてどうなるのかわからんですが、頑張ります