恋人から家族になろう、と言われた時すぐに承諾出来なかったのは故郷にいる家族の事を思ったからだった。
高校を出てフランスの学校に進学して服飾を学ぶ。そこから先のことはあまりよくは決めていなかったけれど、満足するまで学びきったらいつかは日本に帰ると思っていた。
だけれど、もしここでうんと頷いてしまえば私はこの街に定住することになるだろう。
恋人は、フランシスのことは、好きだ。フランスに来た時からずっと恋い焦がれ、お付き合いしたいと願ってお付き合いをした人だった。
だけれど私はこの街に骨を埋める覚悟がない。この人の家族になって、セーヌ川沿いの老舗の仕立て屋の妻として暮らすという覚悟が、なかった。
だから私は夜更けに電話をしたのだ。
『……うん、お前の事情は分かったよ』
不機嫌な声をした姉がSkypeの画面越しに私の眼を見る。
折角の休日を邪魔された不機嫌さをにじませながらも、それでもこの通話を切らないのが姉という人の優しさだった。
「どうしたらいいと思う?」
『夏海の好きにすればいいよ、日本に帰ってもフランスに定住してもどっちでもいい。父さんも多分そう言うよ』
「そうだけど……」
『だいたいフランスで結婚したからって日本の土を踏めなくなる訳じゃないし、その夫だか彼氏だか連れて日本で暮らすって選択肢もあるんじゃないの?』
「それはたぶん出来なくて。相手の実家、老舗の洋服屋さんだからたぶん私のためにお店を畳むのは無理だと思う」
『ああ、そうなると日本では暮らせないのか』
クリスマスシーズンは帰国しないと告げた時、ならクリスマスに会えない?と言われた時点で結婚を申し込まれそうな気はしていた。
ヨーロッパ人、特にキリスト教系の人たちはクリスマス=家族で過ごすものだからそう言う意味も含むのだろうと薄々感づいていたが実際そうなるとすぐに受け入れられるものでもなかった。
恋人を好きな気持ちだけで、この異国でずっと暮らせるのか。そう聞かれると自信がない。
『でも、好きな人なんだろ?』
「うん……」
『感情に従いな。だいたい色恋沙汰は感情に従う方が上手く行く、と思う。ま、最後は相手にそう言う不安ごとぶつけてくしかないと思うんだけど』
姉はそれじゃあと言ってSkypeを切った。
受け取れなかった婚約指輪と、しょぼくれたフランシスの表情、そして子供のころいつも見ていた福岡の海を、思い出す。
子供の時は大きくなったら好きな人のお嫁さんになるんだ、なんて無邪気に言えたけれど大人になるとそんなことも言えなくなってしまう。
頭によぎるのは将来設計とかお金のこととか打算的な事ばかりだ。
コンコンとドアをノックすると、聞き慣れた足音がする。フランシスの足音だ。
「ナツミ、驚かせてしまってごめんね」
歌うようなフランス語でフランシスは私に詫びた。
「別にフランシスは悪くないよ。ただ、ちょっと考えさせてほしくて……」
「うん。だだ、できたらナツミの将来設計に僕を置いて欲しい。それだけなんだ」
フランシスは真剣にそう告げる。
ああ、この人はいつだって真摯だ。嘘偽りのない目で仕事にも人間にも向き合う、その生真面目さを好きだったことを思い出させる。


「……ゆっくり、二人で考えよう。僕とナツミの未来のことを」

子どもの頃好きな人のお嫁さんになると思っていた私は、この人と結婚することに納得してくれるかな。
そんな事を考えながら私は静かに頷いた。

夏海ちゃんとフランシスさんの話。
大人になってから向き合う結婚ってあまりにも難しいよね、っていう話