ラグビー選手は会場入りするときはスーツというのが礼儀となっている。
いつからかは知らないけれど、昔からそうらしい。
「竹浪さんのスーツって素敵ですよね」
「福岡の義父さんが贈ってくれたものでね、もう10年は着てるんだけど全然よれないんだよね」
ビシッとスーツを着こなした竹浪さんが男前に見えるのはたぶん僕のひいき目だけではないだろう。
林檎をモチーフにしたネクタイピンは田舎のお母さんからの贈りものでネクタイも四姉妹の末娘の冬湖ちゃんからの誕生日プレゼントなのだと楽しげにその由来を語ってくれ、一つ一つのものに愛着が籠っているのがその口ぶりから伝わった。
(……僕も、その愛着あるものの一つを贈れたらいいのになあ)
密かにそう考えていたのがぼくが告白する少し前の話だ。

***

それから紆余曲折あってオツキアイ(仮)を始めてもう半年ほど経つけれど、そう言えば竹浪さんの誕生日はもうすぐだったことを思い出した。
平日ではあるけど学校は創立記念日で休みだし今日はバイトもない、豊さんにプレゼントを買おうと思い立ったのは当然の成り行きだった。
(……よし、立川のららぽーとでプレゼント探そう)
しかしいちおう確認しておくことがある、LINEを立ち上げると簡潔なメッセージを一つ贈る。
『秋恵ちゃん、豊さんの誕生日プレゼントって決めた?』
返事は思いのほかすぐに来た。
『何故それを聞く?』
『プレゼント買おうと思って、また被っちゃったら大変だから』
竹浪家の人たちと出会って間もない頃、初めての日野でのシーズンを無事に過ごせるようにとお守りをプレゼントしたところ四姉妹の三番目である春香ちゃんと被ってしまって苦笑いされたことがあった。
『そう言うことね。今年は四姉妹でお金を出し合ってユニとか靴入れる鞄買った、夏海はそれとは別に靴入れる袋作ってる。青森と福岡の祖父母まではさすがに分からん』
『ありがとう、それで十分』
そうしてふらりと電車に乗って20分弱。
ららぽーとをふらりと歩き回りながら、何が良いかと考えを巡らせることにした。
ちょっといいボールペンや万年筆、シックな財布や名刺入れ、目移りはすれどこれだというものがどうも見つけられない。
ふとあるお店の前で足が止まる。
それは千花模様の艶のある深い黒のネクタイで、それを締めている彼の姿が僕の脳裏にすんなりと思い浮かんだ。
(……うん、これにしよう)
そうしてそのままお店に入り、それを購入してしまったのである。

―数年後、冬―
その日は僕にとっても竹浪家の人々にとっても特別な朝だった。
朝からバタバタするだろうから手伝ってくれと前日から僕を竹浪家に泊めさせた。
「夏海はちゃんと春香と冬湖を秩父宮まで連れて来てね、待ち合わせは10時半に秩父宮の正門前。間違えてもいちょう通りの方行かないでよ。あたしはこれからじーちゃんとばーちゃん迎えに行くから。……あと、父さんのことは任せた」
「お姉ちゃん心配しないで、ちゃんと連れて行くから」
そう言っていつもより大きめの鞄に日野のユニ(昔竹浪さんが着ていたものだ)を詰め込んで忙しなく家を出ていくのを見送る。
今日は竹浪さんの現役最後の試合が行われる日だ。
現役最年長の竹浪さんの引退試合は注目度が高く、しかも相手は動員力に定評のある釜石なので間違いなく注目の的になる。
「佐藤さん、いつもすいません」
「夏海ちゃんは気にしないで、竹浪家のみんなの事好きだし」
一番好きなのはもちろん豊さんだけれど四姉妹のこともみんな好きだった。
その豊さんは先ほどからじっと死んだ奥さんの写真を見つめていて、何も聞こえていないように見えた。
今もリビングに飾られている四姉妹の母親の写真を見ると、僕はいつも申し訳ないような気持になってしまって未だにその写真をちゃんと見ることも出来なかった。
ふいにその写真の下からいくつかの箱が出てくる。
「おとーさんまたいつもの縁起担ぎ?」
「うん、今日は佐藤くんにお願いしようかなって」
「……いつもの縁起担ぎって?」
「大切な試合前はネクタイをひとに締めて貰うのが縁起担ぎなんです」
そんな縁起担ぎをしていたことなど聞いたことも無かったので驚いていると、豊さんがいくつかの箱を僕に渡して頼んでくる。
透明な長方形の箱に仕舞われた艶やかな黒い千花模様のネクタイが入っていたことに気付く。
「このネクタイ、僕があげたものですよね」
「うん、お願いできる?」
「あんまり上手くないと思いますけど僕で良ければ」
そうして未開封の箱からネクタイを取り出し、しゅっと首に巻いてゆっくりとウィンザーノットを作る。
「あとカフスも」
「え、あ、分かりました……」
一番小さな箱から出てきたのは透き通った赤い石のついたカフスボタンだ。
それをゆっくりとシャツの襟につけて止めた。
「おかーさんのカフスやんね」
「うん、そうだよ冬湖。よく気付いたな」
「え?」
思わずとんでもない情報に息が止まる。
そうこうしているうちに僕と豊さんが家を出る時刻になってしまい、雑談もそこそこに僕らは家を出た。
「……奥さんから貰ったカフスを僕につけさせたんですか」
助手席に座りながら問いかけた自分の声はわずかに棘を含んでいた。
「嫌だった?」
「ネクタイも未開封だったじゃないですか」
「使う踏ん切りがつかなくて」
「なんですかそれ」
「夏海が『大切な試合前はネクタイをひとに締めて貰うのが縁起担ぎ』って言ってたろ?あれ微妙に間違いで『身につけながらプレゼントしてくれた人のことを想う』のが縁起担ぎなんだよ。
だから、ネクタイだけはひーちゃん……死んだ奥さんのくれた奴以外締めたことが無いんだ」
その言葉に思わず僕は何も言えなくなる。
「でも、今日は一番のファンでこの数年ずっと傍で愛してくれてた佐藤充希のために頑張るべきだと思って。ようやく、これをつける踏ん切りがついたんだよ」
死んだ奥さんの想いを捨てた訳じゃない。僕のことも、この人は愛してくれている。



(ああ、だめだ。試合終わるまで泣かないでいるつもりだったのに)

もう既に目頭が熱い。どうしたらいいんだろう、この気持ち。
スーツという戦闘着を着た愛する人の胸には僕の選んだ千の花が咲き乱れていた。