『正直、いまどのくらいお腹空いとーと?』
バイト終わりの夜7時、秋恵ちゃんから唐突に掛けられたのはそんな問いかけだった。
今日も一日中あちらこちらを走り回り、疲れ切って空腹ではある。
「お腹は空いてるけど……」
『もし良ければ、うちで夕食食って行かん?』
それは僕にとって大変幸運な問いかけであった。
長年憧れていた人とすったもんだの末に恋仲になる未来が確定したのはいいけれど、今のところロクにデートも出来ていない。まあシーズン中に色恋沙汰に現を抜かす暇はないのでしょうがない。
時々気を利かせたバックス陣(という名の愉快犯)の人たちが二人きりの時間を作ってはくれるけれど、ほんの数分程度のことで今のところ進展は特にない。
ここから竹浪家の人々が住む社宅までは車で20分弱、少なくともそれだけの時間は確保できる。
帰りも送ってもらえれば40~50分程度は二人きりの時間が作れるはずだ。
「行く」
『極限まで腹減らして来いやい』
「了解」
返事を聞いた瞬間に電話が速攻で切れた。
(……でもなんで『極限まで腹を減らしてこい』なんだろう?)
まあそれは僕が気にする事じゃないだろう。
両親に竹浪さんに夕飯をごちそうになることをメールすると『了解。ご迷惑おかけしないでね』という返事が届く。
しばらくしてから豊さんがスタッフルームに顔を出してきた。
「佐藤くん、」
「あ、竹浪さん」
「秋恵から話は聞いてるよ、帰ろう」
「佐藤君と竹浪さんって家の方向逆じゃなかったっけ?」
「竹浪さんちで夕飯ごちそうになることになったんです」
スタッフ仲間に簡潔にそう告げるといいなあなんて声が聞こえてくる。竹浪さんちの四姉妹は何かと有名だしみんな可愛いから仕方ないけれど、別に僕は秋恵ちゃんにそう言う感情はないのであまりピンとこない。
スタッフルームを出てから、豊さんの愛車である赤のワゴン車(通勤用には大きすぎるけれどなにせ竹浪家は5人家族なので大きい車が要りようなのである)に乗り込む。
「急に秋恵がごめんね」
「いえ、僕は豊さんと二人になれる時間があるだけ十分ですよ」
「……君ねぇ」
呆れ気味に溜息を洩らされる。
僕としてはいたって素直な本音である。
「春まで10分以上ふたりきりの時間なんて作れないと思ってましたからね」
冬はラグビーシーズンの真っただ中であり、しかも社業の方も何かと慌しい。
2部リーグはシーズンがあまり長くないので12月中には終わるけれど、年が明ければ今度は年年始と年度末が待ち受けていることを考えればそれも止む無しだ。
「……充希くんさ、誕生日2月とか言ってなかった?」
「2月7日ですけど」
「あー……じゃあ、その前後の一日予定空けとくから、2人でなんかしよう」
「えっ、でっ、でーと……?」
「になるのかな。場所は充希君の好きなとこで良いよ」
「あ、はい、考えときますね……」
なんか急に甘酸っぱい空気になって来た。
恥ずかしさを紛らわせるようにエンジンをかけた豊さんに対し、僕の方はデートの文字が脳裏をぐるぐるする。
だって、デートである。ふたりきりの時間は欲しいけど丸一日一緒にいられるのである。四姉妹一人ひとりに土下座でもしない限り普通は無理だろうどう考えても。
(2月だとなんかあったっけ、えっと、Jリーグは開幕してるかどうか微妙だな。Bリーグはまだ試合はあるはずだし、ウィンタースポーツ系も行けるけどフィギュアとかチケットの争奪戦になるから無理かな?いやまずウィンタースポーツ系はデートで行く場所か?というかスタジアムって普通初デートで行く場所なのかな?!)
元来のスポーツオタクの血がそう言う発想に向かわせてしまうけれど、普通デートって映画館とか行くものじゃなかったけ?
「そう言えばさ、充希君ラム肉って平気なの?」
「え?」
「だって今日の夕飯ジンギスカンって秋恵が言ってたけど」
「そう言えば、何をごちそうになるか聞いてなかったです」
すっかり忘れていたが今回一緒に車に乗っているのは竹浪家で夕飯をごちそうになるためであった。そうか、夕飯ジンギスカンか。羊肉か。
「……羊はあんまり得意じゃないです」
「そうだったかあ」
「クセあるじゃないですかあれ……味付きのラムなら食べられるんですけど……」
「でもまあアリじぃの贈ってくれた奴だしなあ」
「アリじぃ」
「ええっと俺が福岡にいた頃監督やってたアリ・ミケルセンっていまクルセイダーズでフィジカルコ―チやってる……」
「あ~、福岡暗黒期の張本人」
「それ本人に言うなよ。あの人うちの娘らのことを孫みたいに可愛がってくれててさ、日本離れてからも春香や冬湖と手紙交換してて時々プレゼントしてくれるんだよ。
で、今年はラム肉が届いたんだけど冬湖が勝手に1キロ解凍しちゃったらしくて」
「それでジンギスカン」
「そういうこと」
事情は概ねわかった。
しかし僕も含めて6人で1キロ、一人あたり160グラム。




(果たして僕はそんなに食べ切れるのだろうか)

つづく?