昨晩食後に洗い物をしていると


子供部屋にいる次女から


ねぇみっきー


と呼ばれた


あれはどこー?こっちきてー!みてみてー!

などよく言う言葉が続くかと思いきや


人は何のために生きてるのー?


不意打ちの軽く深い質問に即答できず考えた


うーん     

何のためだろうねぇ


昔少し読み本棚に挿しっぱなしのトルストイの「 人はなんで生きるか


普遍的テーマなんだなーなどと思いながら


少し考え答えた


楽しむため!


人それぞれ違うと思うけれど

みっきの場合は楽しむために生きてるの


あなたは?



少し考え答えた次女


何かを頑張って、楽しむため



なるほど


前日の夕方の縄跳び大会へ向けての長縄練習

その日は回す人のスピードが速くなかなかタイミングが掴めなかった次女


声をかけると口をへの字にしたべそかく一歩手前みたいな顔


大丈夫大丈夫

としか言えなかった


帰りに

明日も行くの?行きたくないと言うので


やりたくなければやらなくていいんだよ

いつでもやめられるよと話した

少しは跳べていたので、よく跳べてたよとも言った


自由参加なので実際どうしてもやらねばならぬわけではなく、参加する子はクラスの得意な子数人

次女がやると言ったのは意外であった


結局翌日は行きたくないとも言わずに行き

よく跳べた様子で喜んでいた


そんなこんなで次女は何か考えていたのかもしれない



楽しむため!と言った私


何かを頑張って、楽しむためと言った次女



人はいつでも頑張らねばならない、頑張らないと楽しめない、とは全く思わない


状況にもよるし

第一何でも人それぞれ違う


楽しむため

利己主義、利他主義、快楽主義、難しい話は置いておいて



ただ、私は次女が羨ましく


我が身を顧みている昨日今日である



とりあえずトルストイを読んだら


何のために生きているか

ではなく

何により生かされているか

何で生きられているか

というお話だった


宗教観に基づく内容だが

無宗教の私でもそりゃそうだと思う神と愛についての民話


むかし新興宗教の信奉者に


神がいるとするならば私の中にいます

目に見えるものではないと思っています


だからあの眼鏡おじさんはただの眼鏡おじさんにしか見えません

とは言わなかったが


私は昔から神とはそういうものだろうと思っている


さて


あなたは


何のために生きていますか?