私自身、もう何十年もの間、人生を生きてきた経過において考えることは、

性欲と言う難しい問題があった。


人によって、それぞれ個体差はあるのであろうが、まそれも先天的・後天的の両方も考えられる。


人間における生殖行動は他の動物とは違い。時期的なものではないから始末が悪い。


それがこれまで生きてきた私の感想である。

これは私がこれまでやってきた「性」との戦いの記録である。(ちと大げさかww)




若年の頃は、特にそれも、「恋」と「愛」の区別は無く、ひたすらオスとしての性欲が

自分の中にあった。もちろんその頃はそれが「愛」だと思っていた。


その頃は、「性」の話は禁制のご法度視されていたし、隠された環境の

そこからくる歪んだ性の下世話ばなしやら、環境経験がその頃の私の元なっている

可能性が高い。


キンゼイ報告」でさえ、読むことをはばかられた研究であった。


そういう状況で育ったものだから性に対する「理性」が先行し、その制限・抑圧された情報源は

ブルーフィルムであったり、いかがわしい性を煽り立てる、その当時で言う

いかがわしい反社会的なコミューンの中で、個人的性的満足を得なければ

ならなかったわけである。

どちらも一般人には接触する機会の無いシロモノで、もちろん「ヤクザ」もからんでいた

ことも事実だ。


今から思うに、若年の頃は、恋を愛だと勘違いしていたフシがある。もちろんその当時は

知りえることではなかったからこのように告白めいたことを書いているのだが、

ともかく、大いなる勘違いであったろう。

結婚適齢期頃に結婚をしたのも、半分はその「性欲」たるものの仕業の様に感じている。

それでも、相手の心や情にふれあいながら後天的に発生する

血のつながり・・もしくは赤い糸・・の様に

考えて結婚生活を続けて行くのが、「諦め」・・なのか「腐れ縁」・・wwか分からぬが・・・

結果として私の場合は、「離婚」を選んだのであるが、一般的な方々からの意見では

続ければなんとかなる・・との見解をいただいたが、その道を選ばなかった私には

それが良いのか悪いのかは、「タラレバ」の自己反省に近いものであろう。


極端な話を言うと、自分に「性欲」さえなければ、惑わされることも無く、時間を自分のために

使い、無駄な?時間を費やすことも無い。性欲の「エネルギー」を自分の仕事に向けてたら

億万長者????wwwと、悩んだ時期もありました。まそれはそれとしてw
(人間の行動は、性的な目的が結果として絡んでる部分が多いので何ともいえない。)


結婚適齢期に結婚をしなければならないという「社会的縛り」みたいなことを言われている。

その時期に、結婚したくなるのは、文化的・社会的環境と、性欲の一元化ww・(へんな言い方・・)

させて本能を管理する(結婚)と、生殖機能が衰えない時期に・・と言うことか?

人によって、赤い糸にいつどこで出会えるのかはまちまちであるのだから・・・

人間的生活をし、幸福を希求するのなら、なにも焦ることもない。

本当に愛する人と出会えるのは60歳で出会える人もいるだろうし、

40歳で出会える人もいる。

子孫を残す目的なら晩婚はよくないし、そのため昔なら14・5歳で結婚した方がよさそう。


現在の結婚動機は、経済的な理由がもっとも最優先されているようなのだが。

そのお陰で、「性」が多様化しいろいろなジャンルの、「楽しむ性」に変わってきていると思える。

なにか性文化と食文化は人間の欲望(本能)の中ではとても似ているような気がしてならない。

ともかく、「食わなければ生きていけないレベル」であるwそれが本能・・特に

悲しいかな男に授かった「本能」とでも特記して言うべきものかもしれない。

去勢でもしない限り、まったく清く正しく生きることは難しい・・と皆思っているのに、

なぜか、いまだに本心を語ることは少ない。

本音を言うと叩かれる。「不倫は文化です。」の方も、本心を言ったまで・・・のこと

悲しいかな、男は・・(最近は女も・・かな?)性欲のコントロールは難しいの一言です。

「男と女の間には、深くて暗いみぞがある」・・これって言い得て妙ですね。

ただ、ま早く言えば、「女と男」の動物的役割の違いを認識したって言うことですがねw

社会で見れば、男は、「性欲」を隠しにくく。女の「性欲」は隠しやすいです。

動物的存在での役割は元々違うのですから、まったく同じと言うわけには行きません。

(女性の存在価値については、尊敬しております)あえて付け加えておきます。