勘違いしている人は多いが、「資本」というのは、大きな意味で、個人のモノではない。

 

これまで物質文明は、簡単、便利、を目的に推し進められて来た。

 

大隅さんがノーベル賞をとった。

 

基礎科学らしい。

 

コツコツと研究にいそしんで、かなりの遅咲きらしい。

 

教授になったのが51歳だと言う。

 

それまでは全くの門外漢で、「人のやらないことを・・」

 

と考えてこの分野に入ったらしい。

 

この世には医学やらいろいろな学問があるが、すべてにおいて

 

根底には「資本主義経済」がインフラ的な基本的な考え方で、

 

働かざる者食うべからず

 

目に見、え、た、モノにしか価値を認めない。見えないモノ・・

 

基礎研究はその一つだ。

 

1960年代はあらゆることに可能性求めていた。

 

たとえデカダンス、排他的な考え方であろうと、そこに、人間の生き方

を追及する将来的、建設的な意味を持っていた

 

そこに金銭的価値は

 

見つからない。

 

芝居もそうだったし、映画もそうだった。

 

今はどうだろう?

 

すべての経済の動きの根底にあるものは

 

すぐに儲かる、モノ「思考」ではないのか?

 

社会的価値、人間的価値も、そこで決まる。

 

家族がジャマだ、子供がジャマだ、年寄りがジャマだ・・・障害者がジャマだ・・・と

 

医学においても、誰のための医学か?

 

より高額な医療やら、薬を開発しているのではないのか?

 

私はこの世にある学問に「警鐘」を鳴らしたい。

 

人の幸福とは、およそかけ離れた、本来の学問の指針ではなく

 

個人的資本、投資が

 

一人歩きしている。

 

すべての学問が縦割りに存在してはいけない。かつて原爆を生み出した化学のように・・

 

 

人間社会の幸福を希求するところの「哲学」というフィルターに一度

 

通過させて、縦割りであった学問ではなく、横の連携がこれからは

 

求められるのではないか?と思うのである。

 

どこかの地方自治体の失敗が縦割り行政であったように

 

、もっと規模の大きい世界という縦割り行政?の失敗に

 

ならないように・・・と願うのである。

 

 

                                     byひろ