こんにちは、こんばんは!


この投稿を開いてくださり、ありがとうございます。


今日は、本当の“丸い”社会と題して、「自分軸」で丸い社会が本当に実現するのかを図で考えてみようと思います。



では、早速。


ひとつの円を描いてみましょう✨




もしコンパスで書くとしたら、中心の点と、それに対して等しい距離を保ったところにするするっと線を引いていくことになりますね。


線は、点と点を結び合わせて初めて線になります。



さて、中心の周りに丸く引いた線を、無数の点と点の結び付きだと捉えた時、中心はいくつあるかしら🤔





当たり前ですが、中心の点はひとつですね。



無数の点と点がひとつの円を描こうとするとき、必要なのは「その中央に共通するただ一点」の点なのです。



その無数の点のひとつひとつが私たちだとすると、「自分軸」では、無数の円ができることになるんですね。つまり、大きなひとつの円には成り得ないのです。




「でも、中央に一点置くなんて、全体主義みたい!」と思うかもしれません。



確かに、中心に何を置くかを間違えたら、その通り。全体主義(共産主義)になります。



でも、その中心に何を置くかによって、ただの全体主義になるのか、真円になるのかが変わってくるといったら、どうでしょう。



「自分軸」とか「自分が自分の神」という思想は、「自分が中心」なので、“共通の秩序”がなくなってしまうんですよね。究極的には物を盗んでも命に関わることも自分の考えでよくなってしまう。


それこそ今民主主義を破壊しようとしている勢力と同じ構造になってしまうんです。彼らは自分達が秩序に成り変わろうとしていますからね。これら二つの行き着くところは“無秩序”です。



このように、良い方向に見せかけておいて大事なところだけをすり替えて同じ穴に引きずり込むこと。


これが本当の“あちらがわ”の手口です。




では、円の真ん中は何なのか。

円の真ん中は“秩序”です。秩序とは、ルールとか法律よりももっと大きなものですね。例えば、人を◯してはならないとか、人の物を盗ってはならないとか。

とりあえずは、法律がなくてもそれは守らないとだめでしょ、と、良心のある人間なら考えの違いとかそういうレベルではなく誰もが思うことのなかにあるものを思い浮かべておけば間違いづらいのかなと思います。



その秩序がどこからくるものなのか。それが何なのか。



また少しずつ書いていきますが、まずは、「自分軸」では丸くは収まらない、という話をかきました。




カチンときた方にはごめんなさい。

でも、本当に大切な話で、この騒動を越えて、本当に誰もに関わってくるところなので、はっきり書きました。



もしよろしければ、また遊びにいらしてください😊