前の投稿で書いた記事で書ききれなかったことを書きます。

事の始まりは…遡れば去年の4~6月になりますが、今回の奉納については、去年の10月がはじまりでした。去年の8月にひっそりと奉納する機会をいただいたのですが、そのあと、10月にある方とお話したときに、ちらっと「3月に桜の下で」という話になったんです。

その時には詳しく決めずに3ヶ月経過し、今年の1月になって、“もし奉納の機会をいただくならそろそろお話ししないと…”と思い、「もし奉納してよろしければ、ランチの席を整えてください」と祈っていました。すると、その週のランチはそのようになりました。その方と主人と私、三人とも「こうなると思ってた」という面白い出来事になり、それで、「あぁ、また機会をいただけるんだなぁ」と信じることができ、その日に至りました。

直前まで、「何を納めたら良いか間違わないように、この私でもちゃんとわかるように教えてください。」と祈っていました(笑)
暖かくなるのが早かったのと、3/19のヘヴニーズスタイルの励ましソングが同じタイトルだったので、そういうことだろうと当たりはつけていました。
しかし、思い込みだといけないので、その日も同じように祈っていました。すると、バスの中からふと外を見た時に「さくら」という名前のお店が目に入り、「間違いない」と思い、2年前に作曲した「さくら」というタイトルの曲を納めました。

 この曲は、マレさんの書いた、『あなたが輝く奇跡の法則』という本の始まりとその内容に感動して書いたものでした。「来るべき時に咲いて、潔く散りたい」「桜は桜であって、バラでもボタンでもない。中学生の時死んでいたかもしれなかった私の人生、私の場所でいいから精一杯咲きたい。」……そんな思いを残し、それが誰か一人でも助けになればと、半ば遺言のように書いたものでした。
その時は、私が書いた曲、と思っていました。

当時は希望を持ちきれず、繰り返す歴史の中に散っていく命の輝きを描いたので、曲の終わりが今回奉納したものと違いました。冒頭を繰り返す形で、短調とも長調ともとれない終わりにして、聴く人に委ねるというか、お茶を濁すような形の終わり方でした。
https://youtu.be/mT4A7j3LRZU

しかし、本やヘヴニーズに勇気付けられ、この騒動に関して自分の考えていることや思いを他者から見えるところに出すことができ、素晴らしい出会いをたくさん経験し、希望が持てるようになり、曲の終わりを希望に満ちたものに書き換えることができました。それが今回納めたものです。
https://youtu.be/pBDRIe6mcTg

納めた日は元々雨の予報でしたが、暖かい晴れの日を備えていただき、鳥の声の合いの手や、鵜の群れ、蝶々、桜の花が散るように落ちる葉っぱの演出…弾くのがなかなか大変なほどの風…完璧に整えてくださいました。これらは全て私が成すのではないので、そりゃあもう、美しかったです!(笑)

卒後色々あって医療系に進んだ私はブランクの期間がありましたが、これまで、楽器に一生懸命取り組んでいないと体を壊すことが多く、表舞台が少ないにも関わらず、ただただひたすら練習していました。
やるからには学生時代に避けていた苦手な練習を背負い続けようと決めて、ボリュームのある基礎練習を数年続けてきました。

結婚前にも関わらず、常勤→非常勤に移り仕事をしながらの練習で、現実的でない自分の生き方に疑問を持ちながらも、よく分からない何かに動かされ続けていました。

「私、馬鹿なのかな?馬鹿なんだろうな。でも、よく分からないけど、やらなきゃって思うし、そうしないと、多分また体を壊す……。」

その意味が、今回ようやくちょっとわかった気がしました。私の存在も、精神も、技術も、楽器も、曲も、その場で起こった神の息も、何もかも、全て神が何かのために完璧に備えてくださったんですよね。

後になってからでないとわかりませんでしたが、よく分からない何かではなかったんです。

1回目の奉納の後、20年くらい前の突き指が突然治った(弾くのに支障がないレベル)のも、そういうことだったのでしょう。それまで治る気配なんか全く無かったですから…。

そんなわけなので、音楽のセラピーの会は理解した上で意図を持ってやっていたつもりでしたが、形を変えて、楽器との関わり方も改めて見直していこうと思いました。リセットです。

整えて、与えてくださった神に、心から感謝し、思い上がらず、私がそのいただいた役割を間違えることのないように…🙏