2つの中に隠されてしまった、失われつつある道の教えは、日本の武士道に近い、義と尊重と謙虚さの教え。日本人の良いところは、ここに通じている。


でもそれらは、“絶対”“いつも”そうでなければ駄目だということではなくて、省みるための羅針盤。


生きている限り絶対に間違うし、完璧なんて、あり得ない。


横道にそれても、省みることができていなくても、その状態でも見守ってくれて、教えてくれる「なにか」。


その「なにか」は「確か」にあるのに、ちゃんと教えてくれる人は少ない。


だから私たちは自分たちで探そうとするけれど、


罠がたくさん張り巡らされている。


聞こえのいい一見美しい世界、流行り、確かっぽいもの、“みんな”という虚像。


私が今勉強していることや体得していることは、一般的には広く伝わっていない上に、戦後に隠されてしまった。


張り巡らされた罠のおかげで、なかなか色々難しい。

 


でも、それらを知る前から私の願いは


「本当のその人らしさを、その人のペースで得られるようになってほしい。植え付けられた価値観から解放されてほしい。ポジティブもネガティブも、決め付けないで、そのままの純粋さをもって歩んでいってほしい。」


こんな感じの主旨の思いだった。


それを追求してきた結果、世の中のアレコレを見てしまったけれど


「そりゃあ良心というものを吟味してきた人が生きづらくなるに決まってるじゃん、なぁんだそうだったのか。」


と思えたから、


「やばいけど大丈夫だよ」とことばと行いで伝えられるように…………






…頑張ります!(笑)