あれから29年。
忘れたいのに忘れられないあの揺れの感じ。
暗闇の中タンスの上からキャリーバッグなどが落ちてきて動けなくなった恐怖。
私が当時住んでいたのは兵庫県の西の方で、電気ガス水道も午後から戻ったけれども、
1晩小学校に避難し、母と共に福岡の叔母の家へ。
通勤のため大阪の叔父の家に1ヶ月お世話になった。
その後自宅に戻ったけれどJRに遮断区間があったため、電車→振替バス→電車。
リュックにウォーキングシューズ姿で、振替バスに乗るために潰れた家を見ながら、
並んで歩いた。若かったから歩けたね。
能登の映像を見ると思い出してしまう。
まだまだ厳しい冬。
能登の方が1日でも早くやすらげる日が来ますように。
頑張りすぎないでほしい。