幼少期のトラウマとヒプノセラピー | 八ヶ岳原村のヒプノセラピスト

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八ヶ岳の麓標高1400m自然の中でヒプノセラピー&知的障害の娘と農業をしながら暮らしています。移住4年目

八ヶ岳原村のヒプノセラピストの水月です。


今日は虐待のおはなし。



虐待は生きる力を奪う。

考える力動こうとする力が奪われ

徹底的に叩きのめされ否定され続ける。

 

 

 

家の基礎と一緒で基礎がしっかりしていれば崩れにくい家となり問題がある基礎だと崩れてしまう。

 

幼少期の家庭は人格形成の基礎。

 

人を信頼する。自分を認める。そんなものがすべて踏みにじられ

おびえ続ける日々を暮らしていたとしたら。

 

そりゃあ生き辛い。自己肯定感なんて地にのめりこんでる。

 

 

 

このことに気が付いたのは遅くて、自分の子育てが始まったときでした。

 

私の本来の気質は野山を駆け回り束縛を嫌うハイジのような天真爛漫な子。

何も考えずに好きな事を好きなようにできているときには、全くネガティブワールドに引きずられることなく過ごせていたのです

 

 

 

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高校を卒業し、家を出るころには父に対して恐怖も全くなく大好きな父親というポジションになっていました。

 

 

 

 

子育てが始まり目の前にいる子供。

手がかかる。思うようにいかないことだらけ。

 

 

 

 

でも、

こんなに愛おしい存在になぜ彼はあそこまで非情なことができたのだろう?

 

愛おしいと思っていなかったのだろうか?

 

父親と母親は子供に対する感情は別なのだろうか?

 

 

人としての扱いというよりモノに当たり散らすのと同じような扱い。

 

物だったのか私や兄は。


 

 

子育てと同時に自分の幼少期を思い出し、

 

天真爛漫で好きなように臆することなく生きていた自分は、あっけなく崩れ去り消えていきました。

 

 

 

 

あの人の血が入っている恐怖。

 

こんなに愛おしい存在に対してあそこまでひどいことを繰り返しできた狂気。

 

 

 

それでも父を大好きなんです。

 

憎悪・怒り絶望の感情は父に向かないのです。

 

 

 

半ズボンに薄汚れたシャツを着た少年が父の後ろで泣いているのが見えるのです。



 

この人はとても悲しい人だったんだ。だから仕方がないんだ。自然にそう思っていました。

 

 

 

だからと言って子育てと同時に表面化した生き辛さ、パニック発作は収まりません。

 

 

 

一度この生き辛さに気付くと、どうにもならない。

 

 

 

 

幼少期の出来事がこんなに今に影響するとわかったのはヒプノセラピーを学び自分癒しをし始めた時でした。

 

 

 

当時

同僚が不機嫌なのも私のせい。会社の売り上げが落ちたのも私のせい。

何でもかんでも私が悪いんだという思考にとらわれていました。

 

 

その原因をヒプノセラピーで探しに行ったときに見えてきた世界は、幼少期の暴れる父親ではなくその時の母親の叱責でした。



 

「あなたのせいでお父さんは暴れるのよ。」

「あなたが悪い子だから」といわれ続けていた

 

これが私の人格形成の一つ




 

私のせいで父が暴れる。

あなたのせいというキーワード。

 

 

このセッションでは父に対する感情より母に対しての怒りと憎しみの解放でした。



 

暴力に対しての感情が出てきたのはその後のセッションです。

 

 

そのセッションでも、父に対するというより父を育てたその両親に対する怒りがあふれ出てきました。

 



「あんたたちが父に暴力をふるったせいで」

「あんたたちが父を愛情もって育てなかったからこんなことになった」

「同じように狂気に走ってしまうかもしれない、それが怖くて仕方なかった」と怒りをぶつけていました。。

 


 

父に対する直接的な感情は・・・怒りや憎しみはなかなか出てきません。

 

 

 

何度もセッションをし様々な意識を手放し整理し少し経った頃

 



中間生での意識を思い出しました。

生れてくる前の意識です。

 

 

私は過去に同じことをした人だった。

虐待する側だった。

その清算をするために鏡となる存在を必要とし、

その役を担ってくれた人が父だった。

 

 

 

「誰か私に協力してくれる人はいませんか?

この負の意識を清算したいのです。」

 

 

魂が休息をとっている場所で私は募ったのです。

 

 

そこに手をあげてくれたのが父。

 

 

「とても面倒で嫌な立場を演じてもらうことになりますが大丈夫でしょうか?」と聞くと

 

 

父の魂は

「大丈夫ですよ見事に演じ切りますから」と意気揚々と先に降りて行った。

 

 

私はひたすら感謝をしながら後について降りてきたのです。

 

 

 

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そしてつい先日

 

「それにしてもやり過ぎだよ親父は。おかげで自己肯定感がへこみ過ぎてなかなか這い上がれなかったわ」

 

ふと思ったときも

 

負の清算と同時に付随する感情・意識を経験することができた。

 

そっか父親は役目が終わったからさっさと上に戻っていったしまったのか。とまた納得してしまったのです。

 

 

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同じ舞台でドラマを演じているときには見えてこない世界があります。

 

自分癒しをしなかったら気付けなかったことです

 

いつまでも

 

親からひどいことをされたかわいそうな私を演じ続け

 

本当の自分らしさ、自分の人生を取り戻すこともできずに人生を終わらせたときに

 

自分がお願いしてきた役割に気付き

 

すみませんもう一度お願いできますか?と募ることになっていたのかもしれません。

 

 

 

ヒプノセラピーで意識と対話を続けることで魂の目的を知り次のステップに進むことができます。