八ヶ岳原村のヒプノセラピスト水月です
気が付けば不思議なことがたくさん周りで起きています
世の中シンクロだらけ集合的無意識の共時性。
私はフランスが好きです。
幼いころラ・セーヌの星というアニメから始まりベルサイユのばらと
りかちゃん人形で王妃様ごっこをしたものです。
ある程度な年齢になったとき、アントワネットの遺書をフランス語で読みたいという思いと、「ジャンヌダルク」がなぜあのような人生を送ったのかということが気になりだし、とりあえずフランス語を学びました。
その後必死に働きやっとの思いでホームステイをしたのがランス。
ジャンヌがシャルルを戴冠させた大聖堂のある町です。
偶然が必然です。
そして
アントワネットの没後200年式典に合わせて一人パリに行きました。
処刑前日のコンシェルジュりのミサでは彼女の遺書が読み上げられました。届くことのなかった遺書。
次の日のコンコルド広場での追悼式典にも出かけていきました。
現在の話に戻り
さて、私はヒプノセラピスト。
前世が本当にあるのかは証明できないといいつつも、前世でのリアルな体験を思い出します。
さすがにアントワネットではありませんでしたが。
セッションで見た前世の私も断頭台で処刑されていました。
男性で王党派の人間でした。
彼は、その理不尽な処刑、(だと思い込んでいる)愚かな行為がその後どうなっていくのか「私はここで見続ける」と宣言をし、魂はそこに在り続けました。
ちょっとした地縛霊です。
何年もたって街並みが様変わりしていく姿を見続けています。
人間はおろかだと言いながら、同じ過ちを何度も繰り返すとか。
セラピー的には「執着」です。
やり残した思いがあると魂が本来あるべきところに行かない。
愚かさを見届けるといっても、かれこれ200年以上そこにいるのです。十分愚かさを見てきました。
どうしたいのか・・・
おそらく彼の魂自身もわからなくなっているのでしょう
そのタイミングで女性が白い花束を供えてくれたのが見えました。
その瞬間に魂はすーっと上に上がっていったのです。何も躊躇せずに気持ちよく上がっていったのです。
1993年10月アントワネット没後200年式典リアルな私は、彼女のために白い花束をコンコルド広場に供えました。
まだ誰もいないときです。
日本を出るときには、花を供えるということなど考えもしなかったのに。
当日の朝、彼女のたどったであろう道筋を歩きながら、花屋で白い花束を作ってもらったのです。
その日はオベリスクの周りにはステージもできていました。フェンスの中には後からどんどん花束が増え、私の供えたものは見えなくなりました。
その時には彼女のために祈っていたつもりが、実はその場にとどまっていた自分自身の魂に祈りを届けていたのですね。
24年後に見えた世界。すっかり忘れていました。
不思議な出来事
セッション時気付いたことが今に向けてのメッセージでもありました。
究極なシンクロニシティ
娘の生まれた日が7月14日フランス革命記念日