真田丸を五行で見る | 登丸聖月オフィシャルブログ「登丸聖月の台湾四柱推命占」Powered by Ameba

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来年は三谷幸喜監督が脚本を書いた大河ドラマ「真田丸」が放映されるらしいので、楽しみにしています~



歴史上の人物は、映画やドラマにされる時に色々な描き方をされるので 三谷幸喜監督と、堺雅人はどんな真田幸村になるのでしょうか



真田幸村は好きな武将ランキングでいつも上位に入る人気武将です。







武田信玄の家来であった真田家の昌幸と幸村について五行で見てみたいと思います☆







今日は幸村の父、昌幸です。







昌幸は北条、徳川、上杉の大大名に挟まながらも、小豪族の身から大名にまでのし上がり、領土を拡大していたと言います。







秀吉からは表裏比興の者と恐れられました。比興は卑怯とは違い煮ても焼いても食えないやつという事ですが、謀略が必要だった乱世において、表裏比興であったからこそ家を守れ、徳川家康を二度に渡り撃退した功績も残っています。








真田昌幸の主君の遍歴



武田信玄→勝頼→織田信長→北条氏直→徳川家康→上杉景勝→豊臣秀吉→秀頼






武田氏が滅んだ時には、すでに5回も主君を変えています。色々な主人を渡り歩いているところを見ると、生まれた日が「乙」の感じもしますが、(乙は雑草を表し、絡みつく)







智将として今日に伝えられている所から見て、陰の水=癸に思えます。






信玄に才能を見出され、その頭の良さで溺愛されたところを見ると、山を表す戊(つちのえ)日生まれである信玄と干合(戊癸干合)していたのではないでしょうか。干合で繋がっている相手とは堅い絆が生まれやすいです。






信玄の参謀で有名な山本勘助も癸なのですが、彼も信玄と干合していたと思えます。







生まれた日が癸の武将は、知恵があるので、参謀として活躍した人も多く、秀吉の右腕だった、黒田官兵衛もその一人です。











彼らだけでなく、戦国武将は水の日(壬か癸)に生まれている武将が多く、秀吉や家康も水の日生まれです。









水の日生まれでなくても、12月や1月に生まれた武将が多いところを見ると、知恵を表す水の五行が武将として必要だったように思えます。










黒田官兵衛も結局は秀吉に恐れられます・・・秀吉が恐れるのはいつも自分と同じ水五行の武将です。(秀吉は壬日生まれでで水五行の陽干)









癸日生まれの家康とは、沼田問題からの決別、関ヶ原、大阪夏の陣・・・に至るまで、ずっとライバルだったと言うところを見ると、やはり昌幸も家康と同じ癸だったんでしょう。
(同じ干はライバルになりやすい)







・・・今日は突然、戦国の生まれた日を10干で表しましたが、あくまでも私の想像です。
   昌幸は、智将としての水、誰かをサポートする陰干。ということから癸が思いつき、領土拡大を常にしていた武田信玄は戊に思えてきて、その家来だった昌幸と干合していたのではないかな・・・と全てイメージの世界ですが、例えば秀吉の朝鮮出兵の時期を見ると、財星と妬合(干合が2つ現れる現象)が起きて、日本と朝鮮、両方を目指すようになる・・・など納得出来ることを多く見つけました。これからホームページにも載せていきたいと思っています。






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