ここ十数年だろうか。
個人情報保護が叫ばれ、職場でもその傾向がある。
今の職場に限った事ではない。
だけど、、、。
それが、人間関係の不信につながっているのではないか?とも思うことがある。
いきなり、数日休まれて、休んだ人の仕事が回ってくる。
どうして休むのか、理由は明らかにされない。
でも、仕事はやらなければならない。
問い合わせがあった時は「◯◯は、今日は休みです。」とだけ、言う。
外部的にはそれで良いかもしれない。
けれど、同僚としては、どうなんだろう?
せめて「忌引き」って、身内の誰が亡くなったかくらい、教えてくれたって良いんじゃない?
それとも、それさえ、個人情報に抵触するのか?
理由を知らされないまま働く。
ますます、仕事が無機質になってくる。
そんな中、どうやって「連帯感」とか「協調性」とかを育てるんだ?
勤続年数が長い人が多かった前の職場では、個人が話した情報を噂話のような形で共有していた。
だから、何かあっても、必ず知っている誰かが教えてくれて、休んでいる間でも、納得して仕事を引き受けることができていた。
分断とかは、圧倒的な情報不足が原因だ。
お互いがお互いを知ろうとしないから、自分たちだけの偏った意見を助長させていく。
これって、アメリカのトランプさんが世界に向けて教えてくれた?ことなのに。
それによって、SNSの危険性が叫ばれ始めてきたって言うのに。
人間が人間らしく働く意欲を持つために、大切なことって、隠したり省略したりしてはいけないのにな。
コロナ前には膨大に膨れ上がっていた「無駄」が何だったのか、多くの人が気がついて来てるのにな。
何のために生きているのか?
自分は何者なのか?
働く意味は何なのか?
そもそも、ホモサピエンスって、どんな特徴を持った生き物なのか?
多くの研究から、部分的に言えることが増えて来ている。
もう、個人情報だって、ありとあらゆる場面で保護なんて考えていないで、必要な場面での開示や活用について考える時期に来ているんじゃないだろうか。
個人情報保護が足かせになっている事実にちゃんと目を向けて、より良い社会を目指す上で何を共有したら良いのか、ちゃんと考える時期に入ったと思う。
でないと、社会の、人間の根本が失われる。
虚無な空気が蔓延し、生きる気力のない人々が増えていく。
だから、せめて私は、気がついた「自分が助けられること」をやり始めている。
こういった「小さなおせっかい」が、職場の人間関係を円滑にしていくと信じているから。
おかげで?まだ半月くらいしかたっていないのに、新しい職場で、自分を活かす場面を見つけられた。
忙しくて疲れるけど、それなりに楽しい。
うん。
一遇を照らす
私が大好きな言葉を実践している。
