昨日娘が5歳の時にマレーシアの海外赴任に連れて行った話を書きましたが

 

かくいう私も親の海外赴任で3歳の時

アメリカのNYに引っ越した経験があります。

さすがに3歳でナースリー(プレ幼稚園的)に入った頃の記憶はほとんどないのですが汗うさぎ

 

駐在妻の大先輩であるの母の話によると

 

ようちえんいやや、どころの騒ぎではなく

ナースリーに連れて行って私を置いていくと

大音量で泣き叫び始め大泣き

(母曰く、隣のブロックにいても聞こえるような泣き声驚き

 

家に戻って一息つくと先生から

「泣いて手が付けられないのでお迎えに来てください」

との電話が入るような日々だったらしい…

 

その後、入った幼稚園の記憶は

好きな工作やお絵かき、優しい先生

お昼寝の時間の後に

チョコチップクッキーとオレンジジュースが

いつもおやつに出て楽しみにしていたこと

など

嫌な思い出はなく、のびのび楽しく過ごした記憶しかないので、

そうなるまでの母や先生方の忍耐とやさしさに

いまさらながら感謝するわけなのです。

 

ニューヨークでは5年近く過ごしたおかげで

ネイティブ並みの英語力で帰国したのですが

小さい子は覚えるのも早いけど忘れるのも早く

小学校を卒業するころには

発音とリスニング能力は残るにしても、

語彙力も落ちて、会話するのはちょっと辛い、

くらいになっていました。

 

中学生にあがると

感覚的に英語ができたとしても

文法の理解は別、

ということを理解していなかった私は

英語は出来るから大丈夫~花

と思い上がり

英語の勉強を真面目にやらなかったため、

英語という科目にすっかり嫌気がさし、

たまに赤点すれすれの点を取ってくるくらいになっていたのでした…

残念過ぎる絶望

 

その後再びのアメリカ生活が待っているとも知らずね…ニヤリ

 

いまだにその時の記憶からか英語が苦手という意識が抜けていません💦

 

まあ逆にそれが後々英語を教えるという

仕事につながるので

人生は分からないものですね。