娘のお気に入りの絵本に「ようちえん いやや」という一冊がありました。
長谷川義史さんの絵本、楽しいんですよね。
絵も可愛くてコミカルで元気がでるし、
言葉もリズミカルで。
この絵本は、娘が幼稚園の時一年間
マレーシアに住んで帰国したあと
本屋さんで見かけ、「この前までの娘ちゃんみたいだね」といって買った本です。
さて、なんで急にこんなことを
言いだしたかといえば、
我が中1娘は今まさにここスコットランドで「学校いやや」の状態でして
8年前の「ようちえんいやや」の日々を思い出さずにはいられない日々を送っているから…
なので、今日は当時の思い出です。
娘が幼稚園の年中の一年間、私たち家族は夫の仕事でマレーシアのボルネオ島のとある田舎町に住んでいました。
日本人の駐在員は当時町に15家族もいないくらいで、
そのほとんどはご夫妻で子供連れは片手に満たないほど。
インターナショナルスクールもありましたが、娘の負担を考えて、午前保育だった現地の英語の幼稚園(中華系)に入れることにしました。
さて、初日は、新しい幼稚園!新しいおともだちできるかな?と期待に胸を膨らませる娘に
とりあえず「トイレに行きたい」だけは英語で言えるようにして(これ重要!)送り出したのですが
次の朝からは絶望の表情で登園を拒否。
年中の、特に女の子はお友達同士のおしゃべりやお手紙のやりとりが楽しくなるお年頃。
そんなコミュニケーションの楽しさに目覚めた後で、突然言葉の通じない環境に放り込まれたら...。まあ、そうなりますよね😅
そのうえ、トイレや食事など日常的な生活や文化もだいぶ違うので娘にとっては大変な試練だったと思います。
娘は訳も分からず連れていかれただけですが…
最悪、どうしてもだめそうなら幼稚園に行かない、という最終オプションを胸に秘めつつも
(義務教育前に子供を海外に連れていける強みはこれだと思います・・・)
泣きべそをかく娘を毎日何とか幼稚園に連れていき
楽しいとまではいかなくとも、次第に現地の幼稚園生活に慣れていってくれました。
救いだったのは
学年は違うけど同じ幼稚園にいた同じコンドミニアムの日本人とのハーフの女の子がご家族でとても仲良くしてくれて、
他にも通う幼稚園は違う年の近い日本人のお友達や駐在妻の皆さんも本当に優しくて
お茶にご一緒させていただいたり、
何かと気にかけて下さったおかげで
(私も)何とか乗り切れたのかもしれません。
さて、そんな大変な思いをし、スポンジのように何でも吸収する年頃の子供を連れて行ったのだからさぞかし英語の方も…
と思われたそこのあなた!
残念ですが、
そんな甘いものではなかったのですよ…
親の熱心さも関係あるかもしれませんがね
(いや多分その要素は大きい)
一年だけと分かっていたし、あまり精神的なストレスをかけたくなかったので
(娘にも自分にも)、
家でも英語、とかもしませんでしたし…
現地の方は放課後お友達と遊ぶという習慣がないので、結局英語に触れる機会は幼稚園にいる間の平日午前のみ。
それも一年に満たない期間。
あと、娘はとても慎重な性格で赤ちゃんの頃から確実にできると思ってからでないと行動に移さないタイプ
(これって語学習得には損な性格😥)
なので、積極的に発話するということもあまりなかったのではないかと思います。
結局、英語だけに関して言えば
相手の言っている事がなんとなくわかり、
幼稚園での集団生活についていけて、
最低限の受け答えができる、
そんなレベルでの帰国となりました。
当時の娘には、英語=辛い
というイメージを持ったままの帰国
になってしまったのではないかな
あと一年いたらかなり違っていたかもしれません。まあ、人生にタラレバはないんだけど。
でも、やっぱり連れて行ってよかったと思うことのほうが大きい。
慣れない環境でやっていく順応性は多少なりとも身に付いたようだし、
いろんな人がいて、いろんな当たり前がある、という事を肌で理解することはできたようだから。
コロナや戦争で海外に出て行きづらい
世の中になってしまった今、
あの時のマレーシア生活は家族にとって
宝物のような時だったな、と思います。