昨晩、熊本城特別公開を見てきました。

 

 

熊本城の中に入ったのは、もう何年も前だったなぁと思いながら、復興中の城内を見ていろいろと思いをはせました。

 

こんな歴史のある場所を訪れると、自分が生まれる何百年も前がイメージされ、さもこの場所で歴史が刻まれていったように感じるのですが、記録として残っている情報は置いといて、ここの土地のエネルギーや、空気の匂いや、息を吸うときに肌に感じた冷たさなどに注意を向けてみる。

 

すると、何百年前の歴史の記録とは違った、私だけの世界観が湧いてくる。

 

この城は、力を示すための表現だったのかもしれない。

あるいは、安泰を願いあらゆる手を尽くされた象徴だったのかもしれない。

 

外からの攻撃で破壊され、再建されてもなお、今回のように地震や火災といった災害で腐ちてしまったり、それでもまた、ひとつひとつ創造されていく。

 

進んでいるようで、後退しているのかもしれない。

守っているようでいて、手放しているのかもしれない。

同じことを繰り返しているようで、それはそう思い込んでいるだけでいて、同じことなんて一度も起こってやいないのかもしれない。

 

〝そんな氣がしただけ〟

それくらいハッキリとしない、曖昧なモノで埋め尽くされた【私の頭の中のデータ】を、

 

きっとこんなはず。

とか、

イヤ、絶対こうである。

とか、

これで間違いない。

といった言葉たちが枠を作り、さも守った氣になって頑張っているだけなのかもしれないな~(^_^;)

 

自分を、このお城が作られた時代の戦国武将となって読み解く。

半分は自分で、半分は他人。

半分は実在する人で、半分は架空の人。

そんなことして、自分を見ながら他人を見、他人を見ながら自分を見る。

 

戦国武将が目の前の〝あなた〟に変わっても、それは同じこと。

 

〝あなた〟のことにしておきたい、そんな防御に氣がついたら、とてもとてもラッキーな証。☆彡