祖父は桜が好きだった。

そして、

桜を連想させる

詩や歌がとても好きだった。


それに加え、私は

昔から歴史が好きだったし、

文章を

読み解くことも好きだったから、

和歌や、万葉集など、

平安時代や鎌倉時代の

言葉の文化への興味も強かった。



桜を見ると想うことは、

祖父から教えてもらった

歌人・西行の歌。


西行は平安時代末期の歌人。



願わくは

花のしたにて

春死なん

そのきさらぎの

望月の頃



願うことには、

桜の花が咲いているもとで

春に死にたいものだ。

それも、

(釈迦が入滅したとされている)

陰暦の二月十五日の

満月の頃に




西行は、

桜を心から愛し、

桜にまつわる歌も多くある。

なかでもこの歌は

特に有名な歌でもある。


旧暦二月十五日は

太陽暦では三月中旬にあたる。


西行は出家している為、

春の中でもその時期に

この世を去りたいと

思いを込めたんだろうと感じる。



現代でも、

桜の花に、

人の生死のイメージを

重ねることは少なくないように思う。

毎年咲いては散ってしまう

桜の花の美しさに、

切なさや、儚さ、哀しみをも

感じるからだと思う。


西行は

仏教の輪廻転生の姿を重ねて

桜を見たのかもしれないと

私は感じる。




祖父はいつも言っていた。


愛情と哀情が重なった時、

それが一番美しい…と。



神咲 みずほ


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