私たちは、患者さまが本当に                           
求めていることに応えているだろうか

病と闘う、苦しさ、孤独は
何をもって埋められるだろう・・

私は、その答えを解らないまま
 その心のそばにいたい・・
生きている今を
どうか、あなたらしく生きられますように

そう願いながら、
看護を模索してきたように思います

患者さまから学なばせて頂いたことを
お伝えすることが
懸命に生きたひとへの感謝となり
看護への思いを実践していく勇気になると信じて

一井みづほ
 
 
 

*〜 🐥生い立ち(その4)〜*

 

前回の記事はこちら

 

12歳の春休み

東京の大きな病院に入院し

病気や障害を持って

治療している子どもたちとの出会いは

✨なりたい自分になる✨

そのことが

大切なんだと気づかせてくれた💖

 

そして

どんな時も、ずっと笑顔で、

優しく元気づけてくれた

看護師さんという存在✨

 

中学3年生になった時

恩師である担任の先生が

自分の夢を持て!

そして

夢に向かって行く道を考えて進め!

全力で応援してくれた事で

私は看護師になる道へ歩き始めた

 

〜・・〜・・〜・・〜・・〜・・〜

 

😁😊😁

9人の同級生もみんな

先生の夢を持て!いう言葉を胸に

それぞれが夢に向かって

それぞれの高校へ進学することになった

 

先生は、「今年はみんな

県外の高校へ希望する子も多いから

書類が多くて大変だあ😂💦」と

苦笑していた

えっ?先生が言ったんだよ😁😊🤗

 

 

中学校最後の日

9人の同級生と一緒に

先生や在校生にむけて

教室の黒板いっぱいに

ありがとう💖の思いを書き込んだ

そして

担任の先生を囲んで

泣きながら別れを惜しんだ

15歳の春

 

・・*・・*・・*・・*・・

 

先生の受験サポートのおかげで

私は

愛知県の県立桃陵高等学校に入学し

下宿生活を送りながら

通学することになった

 

この高校を希望したのは

県立の衛生看護科の独立高で、

独立高は、全国でも

神奈川、大阪、愛知の3校しかなかった

独立高は、県が看護教育に力を入れているため

設備や研修、進学に手厚かった

正看護師へと育てるために

高校にはその上に進学できる

専攻科(看護学科)があった

トータル5年間で、

正看護師国家試験の受験資格が取れる

全校生徒、当時は360人

 

看護を目指して

遠方から入学する生徒は

私だけではなく、下宿生は他にもいた

同じ夢をもって学べる仲間がいる✨

それが一番の魅力だった

 

・・*・・*・・*・・*・・
 

下宿先のお家は🏠

1歳から6歳までの子どもが4人と

おばあちゃんも同居している7人家族

家に入るなり🐥🐣ピーピー

おもちゃが飛んできそうな

にぎやかさ😅

 

2階の下宿生の部屋は2つ

同じ高校に通う上級生(3年生)がいた

賢くて落ち着いた

綺麗で優しい人だった💖

 

 

〈下宿の決まり!〉

朝食は7時🍞

夕食は6時🍚🍲

洗濯機の使用時間を守る🎽

お風呂は、家族さんが入った後

一番最後!洗って出る

門限は、夕方6時!

 

 

奥さんの食事は家庭的だった💕

🐥子育てに追われ💦

おばあちゃんもいるから

きりきり舞いでよく働ていた

微笑みの絶えないご主人🤓

1年間、

その家が駅の開発で立ち退きになるまで

お世話になりました🙇‍♀️

 

 

お昼は🏫

学校に販売に来るパン屋さんで買う🚚

🥖これが結構、争奪戦💦🌀🥯

4時間目終わったら猛ダッシュ🏃‍♂️💨

競争に不器用な私は

残りものにあり付けたら😅good

 

時々、友達が

その子のお母さんが作ってくれた🍙をくれる😭

その友達は走りが早くて🏃‍♀️💨

代わりに🥯をゲットしといてくれたり

休みの日、家にも呼んでくれたり

思い出すと

助けてもらったなあ😋💕

気さくで優しい友達に恵まれていた💖

 

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高校では、友達の誘いで

文芸部📚✒️📓と

卓球部💦に入った

文芸部に誘ってくれた友達とは

クラスが違ったが

交換日記をしながら📓🌸

夢や悩みを打ち明け合った

 

文芸部の顧問だった先生は

本当の優しさとは何か

本当の強さとは何か

人間とは何か

いつも

考えさせてくれる存在で

映画やいろんな著書の話をして

どんな時も温かく見守ってくれた

 

 

・・*・・*・・*・・*・・

 

2年生になると

下宿先が取り壊されるため、

大家さん一家はマンションに引っ越して行った

そのため、紹介された下宿は

ご夫婦2人で住んでいる大家さんの

離れに

👩女性専用の古い家だけど

今でいうシェアハウス🏡🏠

勝手口からすぐ大家さんに

声が届くから安心だった

 

お風呂は2軒隣の銭湯へ行く♨️

食事は、各自共同の台所で自炊🍳

••😆えっ??ええっ⁉️自炊😵

毎食?毎日?作れるかなあ・・(◞‸◟)

。。。

流しとガスコンロは小さいけど

各自1台ずつ、6個あった

部屋も、各自6畳一間

同じ高校に通う同級生と

小学校の先生方👩が入居していた

 

小さな炊飯器と小さなお鍋🍲🍳

🥒🍅ままごとみたいだったが

作っていると

いつも小学校の先生が

「えらいわね。学生さんなのに😊」

とニコニコ声を掛けてくださった

慣れてくると朝も、

おにぎりや簡単なお弁当を作って

学校に通った🍙🍛😋

これで、パン争奪戦からちょっと安心😛

 

 

銭湯♨️に通うのは生まれて初めて

周りが気になり緊張したが

そのうち慣れて

大きなお風呂で思う存分お湯が使えるから

♨️気持ちよかった!😁💕

同じ下宿の同級生は、

めちゃ勉強家だったから

♨️早く出るよ!明日テストだよ!

ハッパをかけてくれていた😄💦

 

 

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3年生になった時

文芸部の先生が担任になった😁❣️

若くて、背が高くて

優しいから

みんなの人気の先生だ✨❣️

 

 

クラスメートは、愉快な笑いの絶えない

クラスだった😁💕

イタズラ好きで

先生が教室に入ると、

上から・・・⬇️⚡️

粉だらけの黒板消しが落ちてくる

ひゃーっ😝🌨⛈ 

(声を上げるのは生徒)

なんでやねん?!  仕掛けといて😆

 

先生をびっくりさせよう!😵

(ドリフだよ!全員集合!みたいな)

仕掛けをしたりしていたが

担任の先生は、いつも

『おおっと!!』😁

苦笑いか、恥じらい笑い😆☺️

 

「君たちはいつも、

なんて人を和ませてくれる存在だろう」

と、言って許してくれていた😋

(寛容 〜  🌟😍✨💖)

 

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また、3年生の時

何を間違ってか生徒会長に推薦され

生徒会活動に励んでいた👧

全校生徒の前で話す機会もいろいろあり

🏞山村の同級生たった9人の中学校から

🏢県外の高校へ出て来た私からは

想像できない経験だった😇🌀

みんな

友だちのおかげだ😁

 

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進路について

私は、高校からの専攻科ではなく

東京の看護学院に進みたいと相談した

先生は

いろいろ見学できるように手配してくれたり

いつも、話を聞いて力付けてくれた

 

 

夏休みには東京に行って、

いくつかの大学病院付属の看護学院を見学し

その時対応してしてくれた看護学院の中で

🌼一番明るくて✨✨

😊笑顔で迎えてくれた学院を

受験することに決めた

 

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次回は、いよいよ東京へ!
私、看護師になる😊❣️