ミクロフィラ -プロローグ- | 水穂の小説置き場とひとりごと

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 そっと触れた風が、心地よく前髪を揺らして過ぎていく。目を開けると、さらさらと静かな音を奏でる木々。緑を増しつつ、さらに青々と生き立つその様は、まさに季節を物語っている。見下ろせば道端にも背の高い草たちが踊っている。まるで彼を歓迎しているかのようにも見えてくるから、不思議なものだ。

 どれくらいの時間、眠っていただろうか? 景色も変わり、だいぶ日も傾いたようだ。

 カタンッと小さく揺れを感じ、彼は前方に目をやる。そこには一人の男性の背中。眠る前と変わらぬ姿で、手にはしっかり手綱が握られている。年の頃は三十代前半といったところだろうか。整えられた黒髪が特徴的だ

 男性の姿を見とめると、彼はゆっくりと座りなおし、改めて景色に目をやる。ゼントガルスを出発して二日……だいぶ西に来たものだ。住んでいたところとはまるで違う空気を感じる。今更ながら緊張感が襲ってくる。知らない土地に来るということは、こういうことなのかと、新鮮な感覚に身をゆだねつつ、そんな自分に少し可笑しくもなり、ふっと息を吐いた。

「……お目覚めですか?」

 それが聞こえたのか、前方の男性が彼に声をかける。

「ええ。いつの間にか、眠っていたみたいですね……」

「次の村までまだしばらくかかりますので、もう少しお休みになられて結構ですよ」

 背中越しに、やわらかい言葉が返ってきた。長い時間、手綱を握っているはずなのに、まったくの疲れを見せず自分を気にかけてくれる男性に、彼は感謝を抱かずにいられなかった。

「ありがとう。でも、貴方は休憩しなくて大丈夫なのですか?」

「お気づかいありがとうございます。これも仕事……と申し上げれば格好もつくでしょうが、正直、これくらいの旅は稀ではありませんので」

 表情は見えないが、明らかに苦笑いをしているような口調で、男性が言う。

「そうですか。ならいいですが、あまり無理はなさらないで下さいね。急ぐ旅でもないし、遠慮せずに言って下さい」

「かしこまりました。しかし、到着日程は決められていた気がしますが……」

「大丈夫。最近ではモンスターや夜盗も増えてきているし、何があるか分からないですから。余裕を持って日程を組んでいます」

「なるほど。安心いたしました」

 そう言うと、男性は再び手綱に集中する。しばらく馬車の小さな揺れと、木々のざわめきで空間が支配された。目を閉じてみるが、眠れそうな気配がない。

 仕方なく彼は、鞄から一冊の本を取りし、開く。

「……何を読まれているのですか?」

 ふいに、男性が話しかけてきたことに、やや驚く。

「よく、本を読んでいると分かりましたね」

「えぇ、紙の音が聞こえましたので、なんとなくですが」

 この男性、耳がいいのだろうか? 音に敏感なようだ。

「ハーブの本です。最近、ハーブティに凝っていて。いろんなブレンドを試してみたくて、買ってみたんです」

「ハーブですか。いいですね。てっきり法術書でも読まれているのかと思いました」

 興味津津、といった感じで男性が言う。

「女々しい趣味、ですよね」

 言って、思わず自嘲する。

「いえ、そうは思いません。むしろ男女関係なく、そういった趣味を持つことは大切だと、私は考えます」

「よかった。少し引かれてるんじゃないかと思いました」

「全然。むしろ、機会があれば是非、貴殿のオリジナルブレンドを頂いてみたいです」

「あはは。まだ始めたばかりなので、自信はありませんよ」

 そう言って、再び本に目を落とす。ローズマリーとセージをブレンドしてみようか……ひと口にハーブと言っても、たくさんの種類がある。さて、どうしたものか。

 考えているうちに日は更に傾き、気温も下がってきていた。村に着くまで、彼はハーブの本を読み続けた。



 二日後。数か所の村や街を過ぎ、目的地のスリーンダリア公国領へ入った。国境に設けられた関所で軽い身分チェックが済めば、正式な入国となり中心部へと入ることができる。

 スリーンダリア公国は、西にある国で最も大きい。世界七大都市の一つである。とは言っても、やはり世界の中心である首都王国ゼントガルスに比べれば、規模は小さく見える。

 住宅などがまばらに立ち並ぶスラム街を抜け、中心部へと入ると、高い建物が多くなっていく。ここでは領主官邸がある第一区画から第六区画に分けられている。

 石畳の上を軽快な音をたてながら、馬車は第一区画にある建物の門をくぐった。

『スリーンダリア聖霊魔術総合学園』

 門には大きな文字で、そう彫られていた。

 入るとすぐに小さな広場が設けられ、その先には歴史ある校舎が来る者を見下ろしている。ほぼ日も落ちているせいもあり、その存在感はまるで寺院のようにも感じられる。

 馬車から降り立つと、校舎の中から、茶色のローブを着た一人の中年男性がこちらにやってきた。

「お待ちしておりました。あなたがゼントガルスからの転校生ですね?」

 目が合うと、にこやかに声をかけてきた。

「はい。初めまして。イオス・カル・ハリアートと申します。よろしくお願いいたします」

 そう言い、頭を下げる。

「初めまして。わたくしはモルレイ・シザー・ケインズ。この学園の教頭を務めております。長旅でお疲れでしょう。本日はもう遅いですし、転校手続きなどは明日にしまして、まずは寮でゆっくりお休みください。ここからすぐです。ご案内いたしましょう」

 教頭はそう言うなり、歩きだした。

「あ、はい。……ここまでありがとうございました。帰りも、どうぞお気をつけて」

 長旅を共にした御者に挨拶し、教頭の後に続いて歩き出す。

「……あの、手続きの件なんですが、転入試験があるとお聞きしています。それも明日なのでしょうか?」

「……いえ、転入試験については、わたくしもまだ聞かされていませんので、分かりかねます」

 やや言葉を濁す。何かあるのだろうか?

「そうですか。せめて、日程だけでも教えて頂ければ、それに備えられると思ったのですが」

「……大丈夫ですよ。転入生は今までたくさんいましたが、誰もその試験で落とされていません。そんなに難しいものではないです」

 あまりこの話をしたくないような、そんな雰囲気だ。特別気になる事でもないので、イオスはこれ以上聞くのをやめた。

 明日からこの道を歩き、学園に通うことになる。だいぶ闇に覆われていたが、わずかな街灯を頼りに、彼は見知らぬ街の風景をその目に焼き付けた。そんなに難しい道順ではないし、数分と経たぬうちに寮に到着したが、念のためである。

 寮の建物も校舎同様、相当古そうだ。しかし造りはしっかりしている。色あせてはいるが、ヒビ一つない。六階建ての棟が全部で十棟。一部屋二人、共同で使う作りになっていて、学年毎に棟が分けられているようだ。イオスは十五歳の最高学年なので、第五学年が使う建物に案内された。しかし、イオスが案内された部屋は、共同者がいなかった。

「こちらになります。現在、誰も使っていないので、ご自由におくつろぎ下さい。お手洗い、お風呂はお部屋についていますが、共同の大浴場もありますよ。詳しい場所は、入口の案内板に載っていますので、後ほど確認してみてください」

 イオスは少し驚いた。共同の大浴場? ゼントガルスにはなかった設備だ。それほど土地が広いということなのだろうか。

「ありがとうございます。明日、自分はどうすればいいでしょうか?」

「明日は転入手続きのみになりますので、お昼までに校舎までいらして下さい。身分証と印鑑をお忘れなく」

「わかりました」

「では、私はこれで失礼させて頂きます」

 教頭はそう言うと一礼し、部屋を後にした。

 ふぅ……

 大きく一息吐き、彼はベットルームへ向かった。やや広めの部屋にベットが二つ、パーテーションで仕切られている。イオスは、奥の窓がある方を使うことに決めた。壁に備え付けられている机に荷物を置き、ベットヘ身を投げる。

 明日から、いよいよ新しい学園生活が始まる。さて、どうなることやら……。

 期待よりも不安の方が勝って募る。それは親元を離れたからだとか、知らない土地で孤独だからだとか、学園にうまく馴染めるかどうかとか、そんなことではない。もっと別の何かを暗示させているような……そんな不安である。いや、それはイオスの思いすごしかもしれない。ただ、長旅の疲れと、緊張がそう思わせているのだろう。

(荷物整理は……明日にするか……)

 不安を抑え込み、疲れを受け入れるかのように、イオスはそのまま深い眠りについた。