心の安心・3 劣等感は幸せの泉
あなたは美人ですから・・・。
こう話し始めて、反対する人はいません。
「まあ、若い時はそうでしたけれど、今はもう年をとったから」
反対があってもこれくらいでしょう。
それは、誰もが自分の顔が一番好きだからなのです。
でも、ある日街を歩いていて、ひょいと鏡に映った顔がありました。
あ、誰だったかしら、疲れた顔をして・・・やだ、私じゃないの。
毎日鏡に映して自分だと思っていたのとは、少し違う顔で歩いていました。
??? 変ねえ、私じゃないみたいだわ。
しかし内心は、自分は美人だとは誰も思っていません。
ここが、ちょっとまずいのよね、これさえなければ完璧美人なんだけどなあ。
だから、整形美容外科は繁盛するのです。
その上、女性も男性も、身体のどこかの劣等感に悩んでいる。
それが、容易に見える場所にあってもなくても、本人は隠せているつもり、
と言うかどうしたって、何が何でも隠したいのです。
ほいと渡された顔形なのに、その全責任を感じて生きるのですから、
人間の心は邪気なくて可愛いと思いませんか。
その素直さ健気さには涙が出ます。
ひたすら隠したい劣等感のある場所は、頭のてっぺんから足の先まで、
身体中のいたる場所に散らばっています。
ああ、恥ずかしい、隠せるだけ隠したい。
しかし、そんなの他人は先刻承知の助。
人が何とも思ってないのに、本人はいつも隠したいの一心で固まっています。
でもね、その劣等感のある所に幸せの泉が湧いていたのを知りませんでしたね。
恥ずかしいと思うのは、心がうぶな証拠、心がきれいな証拠なのです。
ですから、劣等感を抱いている限りあなたの心のきれいさは消えません。
身体の美しさより心のきれいさが人の心を清らかにし、安心させ、
本人は幸せの道を進めるのです。