↑12年前に整体院の古い白壁が汚いので空画像データを全国の色々な方からメール添付でいただいて制作した空画像壁。このように色々な空の変化する姿が見えるだけで華やかな雰囲気になります。

 

そんなわけで新海監督が「空」をテーマにして映画「天気の子」を作った気分は実に良く理解ができます。クリエイターとして、また作品を通して癒やし、毒出しを伝えるヒーラー意識としても強いシンクロを感じます。想像力(イマジネーション)と創造力(クリエイティブ)は同義であり、創造力の無い嘘吐きだらけの汚れた世界を一瞬で浄化する力があることに人々が気づく時代に入ったのでしょう。

 

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前回もお話しましたが家主である弟の主導で実家売却が6月末に終わり、不要な過去ゴミと化した多くの「モノ」が処分されました。そしてシンクロするように今月末には昔、利用していたヤフーブログが事実上の更新終了となるのですが、今更、後世に残す様な記事も無いと思い、このタイミングで2004年~2011年前半までの過去ブログ記録が自然消滅するのもまた天の声です。

 

ヤフーブログ利用期間は私の国際結婚、前世体験、退職、整体院独立、東日本大震災くらいまでの大きな出来事が記事になっていますが、今更、ブログを読み返すと当時の自分が幼稚園児から高校生程度の思考、気づきしか無かった事に驚かされます。自分ではない全く知らない別人の書いたブログの様にも思えます。それはおそらく批判的な誰かに記事を読まれる事を怖れ、心にも無い嘘を無意識に文章化していたせいかもしれません。

 

また東日本大震災が自身の「精神的ショック」と「精神的成長」を同時に促した事を否定はできません。私は幼少時から「時間がない」の言葉が口癖だったのを震災後、改めて思い出したからです。

 

「自分は何者で、

何のために生まれ、

何処から来て、

何処へいくのか?」

 

スピリチュアル好きな人達にはお馴染みの根幹(根源)の問いですが、人生で死ぬまで一度も考えた事のない残念な人が多いというのが実態です。しかし東日本大震災の後に、真剣に向き合おうと考える人が増えた事も確かです。

 

さて、その様な視点を踏まえて「実家の幽霊」のお話をいたします。つまり「俗に言う幽霊とは一体何者で何故、そこにいるのか?」という体験談です。

 

私の弟が幼い頃からずっと見ていた幽霊は、庭を端から端まで駆け抜ける「白装束の首なし幽霊」でした。それも繰り返し、何度もよく目撃したそうです。いかにも戦国時代に怨念を抱いて死んだ武士の霊そのものですが、弟以外には視認する人間もいなかったので問題にはなりませんでした。たまにここが雑誌のオカルト特集等で、古戦場の呪いの土地として紹介されることはありましたね。

 

そしてその幽霊が、弟の視界からある日、突然消えたのは住宅地下に水洗用の大規模な下水工事が入った直後だそうです。どうやら元・沼の周囲部だったこの場所を埋め立てるために使用したご近所の土中に「霊の魂魄(念のカスみたいなもの)」が残っていたらしいという事になります。

土地の開発が進むと土地に憑いた「霊の魂魄」も消えるか、(もしかすると)移動してしまう様です。少々面白い話ではあります。

 

さて、私は俗に言う一般的な幽霊の類は少なくとも目覚めている間に見た記憶がないので、(そのかわり奇現象はよく体験する)通常霊視能力なんて、ほぼ無いという自覚がありますが、眠っている間は強い巫女能力が普通に働く様で、亡くなった父親やガイド、訪問者、神族、眷属等々と会話したりする事はあります。そんな理由で当然、依頼されても土地除霊の類は一切できません。

 

しかし、6月末、実家の売却が終了して、無事、弟が不動産屋に引き渡し済当日の晩、家具や物が無くなって部屋が空っぽになった実家の夢を見ました。

 

夢の最初に風呂場のあたりで誰かと、何かを会話していたのは覚えているのですがその人物との会話内容は思い出せません。そのまま一人で家の中央へと移動していくと、小さな子どもの泣き声が聞こえてきます。ドアを開けて入ると3才くらいの姿の弟が泣いているのです。「どうした?」と聞いてみると「自分以外、誰もいなくなった」と言うのです。私は「大丈夫、大丈夫」と言いながら肩をたたいた処で目を覚ましたのですが、直感的に実家の中に弟の念が残っているなと気付き、昔買い控えていたホワイトセージの葉と100円ライターを渡して、実家の中を浄化してくるように言いました。

 

結果から言えば、弟本人も当初から塩撒き等で場の浄化が必要と感じていたらしく、実際に行ってみた感想としてセージの煙と香りで、諸々が、とてもすっきりしたと語っておりました。このような生活の場の浄化儀式は最初にお話した土に憑いた幽霊と同様に必須事項なのかもしれません。

 

そしてこの最後の浄化行の際に弟が実家の一番最初の表札(県営住宅で分譲の際、家のドア横に打ち付けられた楕円形の瀬戸物製)がちょっと触ったら取れたと言って私に持ってきてくれました。実家の意思として記念品を頂いた様に感じて、私もこれで本当に全てが終わったという実感が湧きました。

 

色々な思い出もありますが人として、ケジメとして、余計な念やゴミではなく、立ち去る土地には唯一感謝だけを残していきます。

いつもお読みくださり有難うございます。