↑こちらと同じ記事です。

 


 

私は鑑定の際、必ず「どんなことをやりたいですか?」「好きなことは何ですか?」と尋ねるようにしています。

どんな人生を歩みたいかを決める上で、占い的には自分の願いが最も重要だからです。

 

算命学に有願と無願という概念があります。これは自分の願いを2タイプに分類したものです。

 

有願: 環境的要因の反動から生じる外的な願い

無願: 自分が無の状態から生まれる、本来の自分が生まれ持つ願い

 

先に抽象的な言葉でまとめると、上のようになります。

 

有願は、わかりやすく言えば反動の願望です。家が貧乏だったから金持ちになりたいとか、幼い頃に飢えていたからご飯をいっぱい食べたいとか、実家の規則が厳しかったから一人暮らししてからグレるとか。あの人がやってたから私もやりたいとか。

環境に影響されて生じた願いです。反骨精神とかもこちらに当てはまると思います。

他人(または環境)指向型です。

 

一方無願は、環境は関係なく、自分だけに集中した時に生まれる願望です。

楽器を弾きたい、絵を描きたい、小説を書きたい、接客業をやりたい、子どものケアをする仕事をしたい等。

こちらの願いは環境関係なく生じるのが特徴です。「やりたい」という気持ちに他者が介在しません。

自分指向型です。

 

算命学においては、後者の無願を人生で見つけることが重要だとしています。

人間一人ひとりにもともと備わっているのが無願であり、それこそがその人間が自然界に生まれた意味のようなものという見方をします。

自分の本心から湧き出る願いが、生きていく上でとても重要なのです。

 

自分にとっての無願を叶えることができた時、人生は確実に陽転していきます。

※陽転…占い的に、ざっくりと良い方向に進むことを陽転と言います。悪い方向に進むことは陰転と言います。

 

かといって、有願が悪いわけではありません。

日本に算命学を伝えた高尾宗家によれば、無願に辿り着くためには、まずは有願を消化し切らなければならないとのこと。

そのため、有願は無願を見つける足掛かりとなるのです。なので、有願も大事です。

それが最初の「あなたは何をしたいですか?」「何が好きですか?」という質問につながってきます。

 

高尾宗家はすべての有願を先に消化しきらないといけないとは言っていますが、人によっては、有願は未消化だけれど無願に辿り着いたという場合もあると私は思っています。

 

たとえば絵や小説などの芸術作品。

最初は周りから影響された作品ばかり作っていたが、そのうち自分が作りたいものは違うと思い、本当に自分が作りたいものを作るようになった。

これは一種の有願→無願の流れですよね。

この人は芸術分野においては無願に辿り着いていますが、他の分野もそうとは限らないわけです。たとえば家族関係が悪かったり、いい仕事が見つかっていなかったり、他の部分ではやりたいことをやれていないかもしれないし、やりたいことが見つかっていないかもしれない。

そうであれば、この人はまだ有願の消化段階といえます。

 

芸術など何かを極めている人にとっては、有願と無願の消化段階はバラバラに出てくるのではと考えています。

自分の生き方すべてにおいて無願に到達した時、その人は完全に陽転していると言えるでしょう。

 

 

少し話が逸れましたが、まとめます。

 

有願と無願があり、無願に到達するためには基本はまず有願を消化する必要があります。(しかし、私の見解では、人によっては有願全てを消化する前に無願に到達することもあると考えています)

 

いずれにせよ自分の願いを見つけて、それを叶えるために行動するのが重要です。

それが陽転につながります。

 

占いの鑑定は、自分の願いを見つけること、また自分の願いを叶えるために行動することの助けになると思っています。

 

かなり抽象的な話になりました。

ご質問があれば気兼ねなくコメントしてくださいね。

ここまでお読みいただきありがとうございました。