ドゥーガルさんの宇宙の叡智のコースに入ってから


陰のエネルギーが強まって、


誰かのために動いたり、


誰かのために働くことが出来なくなっています。


スピリチュアルを学べば学ぶほど、


人のためではなくて、



自分のために生きるようになります。


そうしたら、


人でなしって言うのか


他者貢献も、


社会貢献も一切なし


ただ休む人、我欲の人になっています。


これは、人に聞けば良い事だと感じます。


ぜひ休んで!と言います。


でも自分には厳しくしてしまう。


人とつながらないのは悪い、人を助けるのは良い


社会貢献は良い、社会や友人とつながらないのは悪い


など善悪のジャッジがあるのだと感じる。


穴口恵子さんのスピリチャルと違うのは、


落ち込みを感じる事


善悪の判断があると、落ち込みます。


病気の家族の面倒を見ないのは悪い、


家族の犠牲ならなるのが良い

 

夫のために生きるのが良い


自分のために生きるのは、悪い


夫に、たまにあうのは悪い


夫婦はいつも一緒にいるのが良い


友達夫婦みたいに、会いたい時だけ会うのは悪い


家族はいつもそばにいるのが良い


離れて暮らしたら悪い


いつも一緒が良い


善悪の判断は無限にあります。


母は、仕事をして疲れている息子と遊んじゃいけない


母は息子を、そっと見守るのが良い


息子にも遠慮している


時々息子に会いに行って良いし、疲れてても会うのが家族だと思っていたら遠慮なんてしない。


疲れている息子に運転させるのは悪い


疲れた息子には休ませる方が良い


けれど、


気分転換は大切 時々^ ^


母と息子と仲良しなのは良い


少し遊んでゆっくり休めば良いとか、


まぁ、そんな風に書き換えると、


息子と会うのも気楽かな。


物事には善悪の判断があり、


悪だと感じる事はしたく無いものだ。


でも善悪って、誰が決めたんだろう。


親や先生や、周りの人がふと言った事かな。


ジャッジは人を小さくする。


時には息子と会って話して、楽しんだって良いじゃ無い。


たまになんだから。


明日は羽目を外し、??


楽しもうと思います。