ソクラテスを読む | 水ブロ

ソクラテスを読む

青空文庫で新渡戸稲造の「ソクラテス」を読む。
なんでかというと、嫌われる勇気でギリシャ哲学がでてきたから。
ほんの数ページの短い原稿ながら、楽しく読めた。


いくつか引用したい。

「即ち友人間の交際にしても、あるいは一歩進んで、人生に処する上にも、手を下し、口を開く前には、一、二歩退いて、我儘の利己のためではないか、ということを慎重に反省してみる。しかしていささかでもそういう気味を帯びておるとすれば、断然これを中止するのであるが、一旦、自分が是なり善なりと信ずるに於いては、それを実行するに寸刻の猶予もしない-------こういうことを思って、やがてはこれを主義ともするようになった。」

なんか論語の中の曾子の三省を思わせる。


「ソクラテスを読んで、一番に面白く思うところは、かのダイモン(註:デーモンと思われる)というものを常に信じて、絶えず、自分の心の中に、善悪邪正を区別する、我にあらざる一種の力を蔵している。訳してこれを鬼神とも称すべきか。とにかく、この一種の力が、たとえ自分の欲することでも、これを行為に顕わさんとする場合には、予めこの鬼神に伺いを立てて、允許を受けることにしていた。そして、もしその允許がでない時には、結局実行を見合わすということになっていた。」

この鬼神。鬼神ということばも論語に見られるけど、これは、実は「本心」であることが次の引用でわかる。


「私がソクラテスを好み、かつ崇敬する理由を数箇条にして述べてみるならば、まず第一には、何事をなすにも、はじめ己を省み、本心に伺いをたててからするということで、これは、今日世間で頻りに唱道しつつある修養なるものの根本となるものである」



キター!
本心塾に通ってる自分のためにあるようなお言葉。

しかし、キリスト教の信者であった新渡戸稲造も儒教を当然のごとく通ってることがこの短い文章からも垣間見れる。


そして最後の引用。

「勿論、私はソクラテスの真似をするという訳ではないが、書斎には常にこのソクラテスと、リンコルン(註:リンカーン)のバストを飾っておく。これなども、立派に修養の功を積んだ人々には、かかる必要は全くないであろうが、私の如き未熟なものには、これが一番に強い刺戟になるのである。」

新渡戸稲造は、理想的実行家としてリンカーンを、理想的思想家としてソクラテスを尊崇していたようです。
しかも、そのバストを飾っておくと。
バストってバストアップの肖像のことかなと思います。

こんな感じの。

そうなりたい人の書や肖像画を掲げるというのは、昔からある、原始的な魔術なのです。これをやらない手はないですね。


水垢離77日目。

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