このブログを開設して10年以上たちました。僕も先が長くなさそうなので、翻訳技術についての考察を書いておきたいと思い立ちました。

 この文章の原文は、外国人識者による政治外交関係の英語原稿を、新聞掲載用に翻訳する際の心得を、会社の後輩に向けて勝手に書いたものです。この翻訳欄は現在2400字で、毎週1面と2面に掲載されてきました。僕は1997年1月から専任し、2006年の退職後も、年に数本担当しています。

 

 まず、翻訳に際しての僕のモットーは「明晰」と「最短距離」と「生兵法は大怪我の元」です。新聞記事は、原稿を書く記者と、その原稿をチェックするデスクが役割分担します。翻訳も同じです。訳文の改訂、削除等は(訳者との協議があったとしても)デスクが最終権限と責任を持ちます。その際、訳者もデスクも、自分は英語の達人だと思い込まないことが肝要です。得意なつもりの「生兵法」は、思い込みで誤訳してしまう「大怪我」の元だからです。実際に僕も、デスクや校閲やさらに上の役職者たちの「生兵法」のおかげで、色々と苦労しました。

 

 実務に入ります。本文の冒頭は時間をかけ、書き出しにふさわしい文章を作ります。欧米人の原稿は、欧米読者を念頭に書かれるのが普通なので、日本人読者向けには言葉足らず、情報不足な場合があります。必要なら、元原(元の英語原稿)にはない言葉や事実関係を補足し、主題は何であるかを、専門家ではない普通の読者が一読して理解できるように、ないしは理解したつもりになれるように、工夫します。

 大切なのは、元原を頭から訳して行くことです。大抵の筆者は、読者が頭から読み下して1回で理解できるように原稿を書いています。だから僕も、元原は事前に読まず、目にした1行目から順に訳して行きます。文節の最後まで、あるいは文章の最後まで読んでから着手すると、筆者が意図した文脈の説得力や勢いが薄れ、平板な訳文になりがちです。この読み下し翻訳が出来ない人は、まだ実力不足と言うしかありません。

 もちろん、原文に乱れや重複がある場合は仕方ありません。前に行ったり後ろに行ったり、足したり引いたり、筆者の意図を推察したりして、一読して理解できる「明晰」な日本語に再構成します。この「明晰」は、分かりにくい個所を全て平明にするという意味ではありません。筆者が何らかの思惑で、わざと曖昧に書く事もあるからです。その場合、筆者は曖昧に書いているのだということが「明晰」に分かる訳文が必要になります。「分かりやすくする」行為には訳者の主観が入ります。それは最小限に留めるべきです。

 実際にこれがあるのは、かつてのヘンリー・キッシンジャーなど政権の内部情報を知り得る立場にある筆者の場合です。わざと曖昧にしたのか、筆力がないせいなのか、その判断に困ったら、誰かと相談するべきです。「生兵法」は禁物です。

 

 新聞掲載には行数制限があるため、同じ内容でも字数が最低限で済む「最短距離」の翻訳を目指します。訳文は、必要不可欠な場合以外、受け身ではなく能動形にし、字数の削減と明晰さを担保します。受け身表現は、字数が長いだけでなく、複数の意味を持つ場合があるからです。英語の語順や構文や慣用句にとらわれず、最良の日本語を目指します。和文では省略しても構わない主語や動詞などは、なるべく端折ります。ないしは端折ることが可能になるような言い回しを工夫します。英和訳の場合は、削除しても文脈が維持できる語句が、かなりあります。

 

 手間を惜しまず、まめに辞書とネットを参照します。英和、英英、etymologywiki、ホームページなどを細かに見ていけば、人物や団体の正体はもとより、スラング、ITや金融などの最新用語、事実関係、経緯、歴史的・地政学的背景などほとんどすべてが、いまやネットで分かります。十数年前から、ネットは時事翻訳者の救世主になりました。そして、「生兵法」で最初に思い付いた訳語にとらわれず、文脈上、最も適切な訳語を探します。ないしは作り出します。

 

 最初に書きましたが、訳文に口を出してくる「偉い人」は本当に厄介です。某米国識者の書き出しが「日本が尖閣諸島と呼び、中国が釣魚島と呼ぶ、係争地の小島」だったため、中国の言い分を載せるのは社論に反すると言う人がいました。そこを外せば使える原稿だったのに、全部ボツ。愚かな話です。ウィンストン・チャーチルの「責任があるのに間違っているより、無責任だが正しい方がましだ」という名言の通りです。

 

 一時期、紙面編集の整理と校閲に「生兵法」の人がいて、言われるまま直して誤訳を紙面化したデスクもいました。米国留学が自慢の上司もいました。字数まで緻密に構成してある原稿を「生兵法」でグチャグチャに直し、手に負えなくなって途中で放り出したのが、そのまま掲載された時期がありました。僕は精神衛生を維持するため、退職後は掲載紙面を読まないようにしていたため、気付きませんでした。数年後、某英国歴史家の一連の掲載コラムを文庫本にする話が出たため初めて読み返し、びっくり仰天しました。結局、全文を書き換え、というか書き戻すのに手間がかかりました。

 

 こうやって苦難を乗り越えれば、単行本用の翻訳が実に手早く進むようになります。第1に、邪魔者も字数制限もないからです。ただし、小説や映画字幕などの翻訳は別物です。責任者と徹底的に相談して文体を考える必要があります。

 ちなみに僕が翻訳した本は、単訳が56冊、共訳が34冊です。僕の訳文は大学入試問題にも、たぶん4回ほど使われました。みな国語の試験問題でした。

 

 以上、明晰だったでしょうか。もし至らぬ個所があったとしたら、第1は老眼のせい、第2はブログ用のデスクがいないせいです。ご容赦を。