先日、高校サッカー部のOBでフットサルをやった。

自分の世代は同期がひとりと3つ下がひとり。

その下が20歳以上若くて、昔、恩師と指導したことのある世代。
さらに、その下というメンバーで世代間ギャップが大きすぎるので参加してもプレーまではと思っていたのだが、そこはまあ、若手諸兄たちが年寄りと相対したときにはほどよく手を抜いてくれるおかげで、そこそこ楽しめてよかった(笑)
みんな、大人になったんだね(^_^)v

で、試合後は飲み会。
ああだこうだと話したなかで、ある世代のメンバーの上手い選手、下手な選手という話になっていて、そこのところで引っかかったので横から自分の意見を話した。

20年以上前と同じで、そこはぶれない。

何かと言えば、ボール技術の上手い下手で選手の評価をしないということ。

「あいつ上手かったよな、おれはこうだった。」そんな昔話が弾んでいたわけだが、そのよい選手だったという評価の全部を占めるのが所謂上手い選手。

で、口を挟んだのはそうではなくて戦術的に意味のあるプレーをできる選手が良い選手ということ。

だから、その世代では昔も今も一番評価が高いのは「ダイスケ」
この選手はたとえて言えばシャビ。

そのシャビは今でこそ世界的にも認められているわけだが、若いころはソシオにもけちょんけちょんに言われていたし、その手本であったグアルディオラにしても同じ道を歩んできたと言うことは忘れ去られている。
バルサではそこをクライフがフォローしていたので、彼のような選手が生き残って大成することができた。
ガンバの遠藤ヤットにしても同じ。
もともとが非常に戦術的に意味のあるプレーをする選手だったのに、ジーコジャパン時代には代表では不遇だった。
ひとことで言えばブラジル育ちのジーコにはこういう選手を見抜く目がなかったのだと考える。

その辺のこと、普通にはわからないよねと、むしろジーコが普通だねと、、、けれども、そこは自分たちは20年前からぶれない指導をしてきたつもり、、、なのに、その世代の連中がSクンは上手かったよね、Mクンは上手かったよねという話をしているの耳にしてしまうと、ああ、20年前はわかっていなかったけれども、頑張って指導してきて、わからせたつもりだったけれども、20年経ってもわかっていないんだねと、、、(笑)

で、その日のフットサルでもダイスケのプレーは光るものがあって、それは何かと言えば夾雑物が無い。
もちろん、世界的な選手と並べるべくもないのだが、余分なプレー、派手なプレーがないのに戦術的に意味のあるプレーができる。その一点において彼は優れているのだ。

いや、所謂巧い選手が手をかけて、ああでもないこうでもないと踊り踊って自分の技を披露して相手を崩す。そういう「上手い」選手は世界中どこにでもいるんだよね。

その頂点は昔のメッシで、今でこそ余分なプレーをあまりしない良い選手になったわけだけれども、昔はそうではなかった。
その昔のメッシに似ているのは今のネイマール、、、ああいうのはチンドン屋だと恩師が生きていれば言っただろう。

メッシは今でこそ意味のあるプレーが連続する選手になったけれども、メッシのような派手なプレーがないのに、メッシと同じような戦術的に意味のあるプレーができる。
それが全盛期のシャビであり、イニエスタだ。

ことにシャビの場合は縦への突破力やスピードに劣るなかで、パスワークを駆使しながらひとつ前の自分のプレーを戦術的に意味のあるものに変えていくという錬金術を駆使できるわけで、それは驚き以外の何ものでもない。

さて、まあ、ダイスケがシャビと同じと言うつもりは、もちろんないのだが、夾雑物がないプレーで戦術的に意味のあることができるという一点において、他の選手のプレーよりも優れていると言えるわけで、それは彼の場合、個の能力においてむしろ他の選手よりも劣っていたからこそ身につけたものなのだろう。

で、上手い下手の論議で、そこのところがどうしてもわからない連中はそれなりに上手かった奴なわけで、そこのところが面白い。

ここからはこの話をあえて書こうと思った理由だが、先日の代表選の小林祐希。

彼のプレーが監督の指示を無視したものだったらしいというのはネットは新聞に彼の発言として既に書かれている。
で、結果として現れた彼のプレーに対して、前園が肯定的な見方を書いているわけで、それを読んでみると、まあ、なんというかメンタリティとかモチベーションとかいう角度からの語りなのでそれはそれ。
で、それに対する批判がツイッターにあったようで、自分はFacebookに流れてきたそれを見た。

曰く、真ん中がガチガチなのにサイドに張らなかった選手を擁護するとはと言うような論調が言葉の向こうに見えているツイート。

ふーーーん、そういう見方があるんだねと、、

前園の見方はえらく頓珍漢だなと、、、それは思うけれども、前園がその真ん中ガチガチなのにどうしたこうしたに気づいたか、気づかないかは知らない。

さておき、小林がベンチで何を感じていたかは少し次元が違うというか、角度が違うと思うわけだ。

小林、選手間の距離を縮めてパス交換をしたかったのではないだろうか、、、
パス交換をして、リズムを生み出して、ああでもないこうでもないとボールの位置をずらしながらグループでふらを生んで、結果的にパスの出所をわからなくし、パスの出るタイミングをわからなくし、パスの狙いどころをわからなくしていく。

小林自身はそこまで考えていないだろうが、パス交換でリズムを作って崩していく。そうでないと何も生まれないよと、、、

ぽーん、ぽーん、ぽーんとパスがまわって、顔を上げてどっこいしょっと楔のパスを出したり、ドリブルで仕掛けたり、まあ、相手が弱ければいくらでもできるよねと、、、
そういうどっこいしょでやっつけられる相手はどうでも良いわけで、そうではない相手をどう崩すか、ぽーん、ぽーん、ぽーんからポンポンポンにリズムを変えるべきだし、そのためには選手間の距離を縮めるべきだし、ただ、サイドでそれをやるとさすがにこのレベルの相手でも簡単に追い詰められるので、サイドに張らないのではなくて、サイドに留まらない、、、そういう選択肢は買える。

ただ、監督にはその意図は伝わらなかっただろうし、周りのベテランにも伝わらなかっただろう。
いつも書いていることだが、小林、パス交換でリズムを生み出そうとポンポンとはたいていったのに、ベテランがポーン、ポーンとパス回しをやって、ボールは小林のところには戻ってこないから、、、それで何も生まれずにお終い。

フットサルの時も感じたのだが、パス回ししてしまう選手の多くは引き付けてパスが得意だったり、もうひとつは自分は簡単にポンとはたいているようなつもりなのだろうが、その選手にボールが渡る前から、ああ、あの選手(本田、香川、長谷部などなど)ボールが来たらあそこにはたくなと見えてしまっているので、しばしばあっさりとカットされてしまう。

本当の意味でのサッカーの巧さで代表になったわけではないよねと、、、感じるわけだ。
小林も、そういう意味では全然だと感じるわけだが、名波の指導で何か身についたものがあったんだろうねと、自分には見えた。

先日、スカパー!のサッカー親父の番組でジョージさんが出演して、都並と金田が「このひとはボールに魔法をかけていた。」と語っていたが、今はジョージさんクラスでさえもひとりでは魔法を使えない時代になっているわけで、そこでポンポンポンとパス交換しながら2人3人ならばできますよ、魔法使えますよと言うのが全盛期のバルサのサッカーなんじゃなかったのと思うわけで、小林は、もしかすると名波はそこのところどうにかしたいと思っているのかもしれないね。