で、そういう1回しかない短い本気のサッカー人生を技術やサッカーセンスとかいう面で負けたのならばともかく、走り負けしたのに県のベスト8まで行きましたとか、ましてや3回戦まで勝ちました的な満足で終わってしまうのもひどく滑稽だと思ったりするわけだが、もっと可哀想だと感じる話が最近あった。

知り合いの息子さんがいる高校のチームが新人戦で3連勝していて目出度いと思っていたのだが、なんのことはない。その息子さんはチームを外れているらしい。

で、知り合いの話しを聞いていると息子さんをAチームに上げたコーチは、そもそもBチームの監督でツーボランチでやっているのだが、Aチームは今年の新チームからワンボランチになったのだそうで、そのあおりで学年がひとつ下の息子さんはポジションがなくなったということらしい。

日本の高校レベルの指導者は代表のシステムの変遷を追っかけている節があって、自分がやっていた頃はその県内はトルシエの3バック全盛で7割ぐらいがやっていて、おまけに中学や少年団もフラットスリーをやらせているチームが市内に半数以上有るというアホな状況だった。

それがジーコに変わった途端に半年程度で4-4-2のゾーン守備でひとりあまりを徹底させるというジーコスタイルにほとんど全部が豹変。何だかなあという気持ちにさせられたことは何度も書いた。
その続きも笑える話が色々あるわけだが、今度はワンボランチとは、、、ね。
アギーレの影響なのだろうが、鼻で笑うしかない。

指導に一貫性があって、結果はともかく勝負にこだわる中で、志向性はどうでもシステムをああだこうだっやっていくのは良いことだと思う。

ただ、システムがどうなんて本質を考えているひとから見れば枝葉末節に過ぎない。

そうやって見ていったときに、そのああだこうだをいじりたがる輩は身分を保証された指導者連中の集まりの中での流行廃りだったり、サッカー雑誌に載る代表のサッカーの解説記事の潮流なんかだったりに左右されているわけで、そうでなければ代表の監督が替わったら、そこらの高校サッカーのチームの大半がワンボランチになったなんてことは起こるはずもない。

つい、最近までスペインの育成を真似て、子供の頃から一貫したシステムでやるのが大事とか吹聴していた奴らと、監督が替わる度にああだこうだとシステムをいじる奴らとが同一人物龍田というところが日本のサッカーの底の浅さを示している。

そういう指導者たちを哀れだと思う一方で、そういう輩は指導者を辞めた方がいいのではと思う。

なかには自主性を重んじるとかでそこらは生徒にやらせているチームも多いのだそうだが、格好良いこと言っているけど、自主性ってそういうなかで育つものか。

成長するってことは要するに枠破りするってことだと思うんだけど、、、父性や兄性を感じられない存在が成長の壁になることは出来ない。
子供達よりも会議の方が大事だと思うひとたちに子供の成長を促せるのかは多いに疑問。まあ、教育ってなんなのという話で、そこは日本の現場はたいへんなんだろうけれどね、、、