相川さんから教わったもうひとつのアプローチがある。


教えすぎることによって選手が自分で考えなくなること、それが心配であれば、ひとつの状況に対して多くの、たとえば5つの解決策を教えて、そのなかでどれを選ぶか判断させる。

サッカーには無数の状況があるから、その解決策が状況の5倍だとしても選択肢は次々に多数あることになる。

たとえ教えられた中での選択肢だとしてもその多数の選択肢の中から選手が選択し続けていくとすれば、それはもう自分で考え続けて判断し続けることと同等になるのではないかというアプローチ。


具体的には練習の中にそういうケース分けのシミュレーションをセットして、さらに試合形式で経験値を上げて柔軟に選択肢を使いこなせるようにする。


そういう視点から見ていると教えすぎが怖いという指導者は、ひとつの状況に対する5つの正解を知らないか、考えられないか、整理できていないかだと思えてくる。


もうひとつ教えすぎを畏れると口にする指導者の何人かは、実際に、自分の指導によって選手を「壊し」てしまった感覚というのをもっているからではないかと推測している。


選手が子供の頃からもっている得意技が出ないとか、活き活きとプレーしなくなったとか、何らかの形で選手の良さが消えてしまう。

それが自分のアドバイスのためではないかと考えてしまえば、なかなか次のアドバイスはできない。


実際に選手が指導者の言葉にとらわれて迷路に入ってしまうことはたまにあると感じるが、そういうときは自分の長所を忘れるなとアドバイスして、しばらく放っておけばいいだけなのではと、そう考えている。


教えすぎを畏れるな、である。