『愛の歌』
エドワード・バーン=ジョーンズ
(1868-1884年)
***2020年2月18日の日記***
オペラと言えば。
私の両親は結構、
オペラ好きで。
昔から実家では、
よくそういう音楽が
流れていました。
私はというと。
バレエに関してはもう、
物心ついた頃には夢中でしたし
歌うことやクラシック音楽は
もちろんのこと。
教会の聖歌なんかも、
好きだったのですが。
なぜかオペラにだけは、
まったく、
興味がわきませんでした。
それが自分でも
不思議だったので、
ある時、思ったのです。
これは単に、
食わず嫌いなだけなのでは?
・・・と。
そしてあれはたしか、
18、9歳くらいだったか。
両親がオペラを観ている横で、
何度かそれを、
一緒に鑑賞してみたことも
あったのですが。
そういう時でも、
気づけばいつも。
途中で眠ってしまって
いました
大人になったある頃。
自分の努力だけでは
どうしても歌いこなせない
歌と出会って。
それで声楽を始めたのですが。
その頃になってやっと、
歌曲やオペラのアリアだけは、
なんとか楽しめるようになり。
眠ってしまうことなく、
ちゃんと聴いていられるように
なりました。
けれども未だに。
私はやはり、
オペラ全幕を楽しむ。
・・・という感じには
ならなくて。
途中で眠くなってしまいます
そんな中でも、唯一。
最後まで飽きずに
楽しめたオペラは。
『マダム・バタフライ』
・・・だけでした
*******
ウイングメーカーの哲学と
出会った頃は、
それを読んでいると、
いつも眠くなっていました。
この文章には、
催眠効果でもあるのかしら?
・・・と。
真面目に思ったりも
したくらいです
けれども、
いつだったか。
そんな話を、
占い師の彼にしたら。
「人の脳は、
自分のキャパを超えると
眠くなるのですよ」
・・・と言われ。
なるほど。
・・・と納得しました。
いつの頃からか。
最初はあれだけ難解に
思えていたその哲学が、
気づけば、
スラスラ読めるようになり。
しまいには。
「これって、
こんな簡単なことだったんだ」
・・・とさえ、
思うようになりました。
やっぱり。
何かを真剣に
楽しみたいと思ったら。
それなりに、
自分の器を拡げないと
ダメなんだろうな。と。
そんな風に思いました。
そして。
器を拡げるには、
本ばかり読んでいてもダメで。
実際の「経験」が、
一番、重要なのだなと。
ある時、
しみじみ、
実感するようになりました
*******
あの日。
占い師の彼はそのまま別荘に
泊まると言っていました。
私は家族と一緒に、
帰路につきました。
車に乗った途端、
子供達はすぐに寝ていました。
特に娘のほうは、
レッスン帰りだったから、
疲れていたでしょうし、
息子も子供ながら。
あの場では、
相当気を遣っていた
ようでしたので。
気が抜けた途端に、
寝ていました。
夫に、
初めてのところなのに、
よく迷わずにこれたね。と言うと。
彼は言いました。
「だってここ。
お姉ちゃんの家の
すぐ近所だから」
・・・と。
それを聞いて、
あ!そうか!と。
いろいろ納得しました。
グルジェフの彼の
別荘があった場所は。
お姉さんの嫁ぎ先の家の
目と鼻の先でした。
私もそのお家には、
何度かお邪魔したことは
ありましたが。
いつも車でしたので、
道までは覚えていませんでした。
でもその景色だけは、
どこかで覚えていたのだろうと
思います。
だから先ほど、
グルジェフの彼の車の中で、
なんとなく、
デ・ジャヴュのような感覚に
なったのでしょう
更によくよく
話を聞いてみると、
先ほど彼らと一緒に
食材を買いにいった
あのスーパーマーケットは。
お姉さんがパートで働いている
お店だったことがわかり
「あそこでバッタリ
会わないでよかった~」
・・・と。
ホッとしました
でも本当に。
世間は狭いな。と。
つくづく思いました。
*******
相模湖には。
実は少し思い入れがあり。
そこは。
子供の頃に初恋の人と出会った
想い出の場所でした。
今にして思えば、
それは相当幼い恋でしたが。
でも、だからこそ。
想い出は美しく
だからあの時も。
占い師の彼や、
グルジェフの彼のような。
確実に何かの縁が
あるのだろうと感じるような
人達と。
みんなで一緒に、
その相模湖に来ていることが。
私にとってはなんとも、
不思議な感じがすることでした。
なんでよりによって。
相模湖なんだろうなぁ。
・・・と
つづく
*******
前の日記
次の日記