昔、

ダライ・ラマの来日講演に

行ったことがありました。

 

 

その時のお話のテーマは、

 

「仏教と科学の共鳴」

 

・・・というもので。

 

何人かの科学者の人達が

ゲストで招かれていました。

 

 

私はそこで。

 

量子力学と仏教の

共通点に関する話を、

 

科学者の人達の視点から

聞けるものだと思って。

 

とても楽しみにしていました。

 

 

けれども。

 

そこにいた科学者の人達の

ほとんどが、

 

仏教にはほとんど

興味がなさそうな人ばかりで。

 

彼らが話すことは、

自身の研究のことばかりでした。

 

 

期待していた話が

聞けなかった私は。

 

「つまんないなぁ」

 

・・・と思っていました。

 

 

それはダライ・ラマも

同じだったのか。

 

彼はなんだか、始終、

眠たそうな顔をしていましたにやり

 

 

ただ。

 

最後の科学者の人だけは

他の人達とは少し、

毛色が違っていて。

 

本来のテーマであった、

 

「仏教と科学」

 

・・・が、

いかにして統合できるか。

 

・・・みたいなところに

突っ込んでくれたので。

 

そこで私も、

テンションが変わりました。

 

 

ダライ・ラマも、

結構、解りやすい人で。

 

その科学者とだけは、

真面目に対談していましたにやり

 

 

あの時、

最後にその科学者の人が

こう言ったのです。

 

 

「私たちはこれからは、

もっと精神的なことにも

目を向けていかなければ

いけないですよね?」

 

・・・と。

 

 

それに対してダライ・ラマは、

 

 

「たしかに、

精神的なことに目を向けることは

とても大切なことで。

 

あなたたちの国のような

人にとってはそうです。

 

けれども世界には、

貧困にあえいでいる人も

まだまだたくさんいます。

 

そういう人たちはまずは、

物質的に満たされないと

いけません」

 

 

・・・と答えていました。

 

 

*******

 

 

今、グローバリストたちは

国境を失くして。

 

世界をひとつにしようと

画策していますよね。

 

 

それはなぜなのでしょう?

 

何のために彼らは、

ここまで世界を壊して。

 

たくさんの人達を

こんなに混乱させてまで。

 

それを

達成させたいのでしょうか?

 

 

見る人によっては、

グローバリストたちの

その目的は、

 

「独裁」

 

・・・に見えるようです。

 

 

世界をひとつにして、

そのトップに自分たちが立ち。

 

全世界を自分たちの

思いのままに操りたい。

 

そうやって自分たちが

良い思いをしたいがために。

 

世界をひとつにしたいと

思っているのだと。

 

そう見る人が、

たくさんいます。

 

 

また、ある人は、

 

旧約聖書に書いてある

通りのシナリオを、

 

この世界で

実現させたいがために。

 

こういうことを

行っている。

 

・・・と言っていたりします。

 

 

あるいは。

 

ただ混乱させて、

楽しんでいるのだ。

 

・・・とか。

 

 

けれども。

 

その「実」を、

本当に解っている人は。

 

この一般社会の中に、

どのくらいいるのでしょうか?

 

 

おそらく、

ほとんどいないのだろうと。

 

私は思っています。

 

 

だから。

 

グローバリストたちの

その真の目的について。

 

巷で流れてくる噂や、

まるで真実のように

語られていることは。

 

そのほとんどが、

 

その発端は、

 

誰かの「憶測」だろうと

思っています。

 

 

言葉が力強く。

 

説得力のある人の

憶測なのだろうと。

 

 

私は。

 

起こる出来事の中に

意味を見つけることは

好きですが。

 

でも同時に。

 

起こる出来事の中に、

本当は意味なんてない。

 

・・・とも

思っています。

 

 

だから私たちは。

 

そこに「意味を見つける」

わけではなく。

 

「意味をつけている」

 

・・・が正解なのだと。

 

そう思っています。

 

 

だからこそ。

 

自分がそこに、

どういう意味を見ているのかを

注意深く観察してみれば。

 

そこに自分自身が

見えてくるのだと。

 

そう思っています。

 

 

自分が見つけた

意味の中に。

 

自分自身が

映っているのです。

 

 

つまり。

 

グローバリストたちの目的が、

世界を思いのままに操る

「独裁」に見えるのであれば。

 

それは、

自分自身の中にも

それと同じ「種」がある。

 

・・・ということです。

 

 

そういう「概念」が

自分の中にまったくなければ。

 

そういうことを、

想像することすら

出来ませんから。

 

 

植物意識の人は、

力強い言葉に対しては、

 

ほとんど何も考えず。

 

「そうだったんだぁ」

 

・・・と、

 他者の意見を自分自身の意見に

置き換えてしまいます。

 

とても素直なのです。

 

 

それよりも意識が成長して、

動物意識になった人は。

 

自我がだいぶ

確立されてきていますので、

 

他者の言葉を鵜呑みにせずに、

自分で考える。

 

・・・ということを

始めますが。

 

それでもなお、

 

外の世界で起こることに

自分自身を投影して、

 

それに対して

反応している。

 

・・・ということには、

まだ、気づけていません。

 

 

自分フィルター(自我)を通して、

世界を見ていることにまでは。

 

 

*******

 

 

私もそうやって。

 

自分フィルターを通して

グローバリストたちを

眺めてみた時。

 

これもまた、

 

私自身の投影にしか

過ぎませんが。

 

 

私にはそこに彼らの、

 

「行き過ぎた理想主義」

 

・・・が見えるのです。

 

 

世界を均一にして、

 

そこにある不平等を

なくそうとしているように

見えるのです。

 

 

自分たちだけ安全地帯にいて、

庶民だけ苦しめるやり方は。

 

本当に、幼稚だなぁ。

 

・・・とは思いますが。

 

 

でもなんだか彼らは。

 

自分たちは「善」を

行っているのだと。

 

それを信じて疑っていないように

見えるのです。

 

 

そうやって。

 

実のところは

解らないながらも。

 

けれどもそこには、

 

ひとつだけ、

ハッキリと見えるものも

あります。

 

 

それは、

 

その目的が「独裁」に

見える人にも。

 

「聖書の予言成就」に

見える人にも。

 

「ただのサディスト」に

見える人にも。

 

そして私にも。

 

ハッキリ見えている

ものです。

 

 

それはそこにある、

 

「人のエゴイズム」

 

・・・というものです。

 

 

その「エゴイズム」に対して。

 

人は自分自身を投影して、

意味を見つけようとするのです。

 

 

*******

 

 

先日の大統領選の討論会の。

 

トランプさんの発言に、

仰天しました。

 

 

ハイチからアメリカに

入ってきた移民たちが。

 

市民のペットを盗んで

食べているのだと。

 

彼はそう言ったのです。

 

 

カマラ・ハリスはそれを聞いて、

呆れた顔をしていました。

 

それはトランプの嘘だとでも

言わんばかりに。

 

 

私はそれについて。

 

トランプさんが真実を

言っているとか、

 

嘘をついているとか、

 

断言できるほどの情報は

持っていませんが。

 

 

でも、本音を言えば。

 

「そういうことは有りえる」

 

・・・と思いました。

 

 

なぜならこの世界は。

 

住む国や地域によって、

 

「常識」が違うからです。

 

 

「豪に入っては郷に従え」

 

・・・が「常識」である

日本人。

 

これは英語でも、

 

「When in Rome,

Do as the Romans do」

 

(ローマにいる時は、

ローマ人のようにふるまえ)

 

・・・という、

同じ意味のことわざが

あるくらいですから。

 

 

こういうことは、

日本だけの常識でも

ないのでしょうね。

 

 

けれども。

 

それを「常識」としない人が、

この世界には本当に。

 

こんなにたくさんいたんだ。

 

・・・ということを、

日本の最近の移民問題の中で、

 

しみじみ実感しました。

 

 

「常識」が違うのは。

 

その根底にはおそらく、

「意識の発達段階」の違いが

関係しているのだろうと

思います。

 

 

ダライ・ラマが

言っていたように。

 

「物質的に満たされること」

 

・・・に集中している

意識にとっては。

 

そこを満たすことが

一番重要なことであり。

 

精神の世界はまだ、

ベールの向こうにあって

見えないのですから。

 

 

そして、

そういう意識にとっては

「宗教」は。

 

暴走する人を抑えつける

道具になりえるのでしょう。

 

 

悪いことをしたら、

恐い地獄に行くよ。

 

神を信じて祈れば、

物質的に幸せになれるよ。

 

だから、

こうしなさいね。

 

偉い人は、

こう言ってたんだからね。

 

・・・と。

 

 

宗教の本質は。

 

本当はそこでは

ありませんが。

 

でも。

 

そういう「道具」としても

使えるのでしょうね。

 

宗教は。

 

 

*******

 

 

自分たちのことは

棚に上げたままで。

 

世界を均一化しようと

する人たちには。

 

「真の多様性」

 

・・・が、

理解できていないのだろうと

思います。

 

 

幼稚園児と大学生が。

 

ひとつの教室の中で

同じ教科を、

 

一緒に学べるわけがない。

 

・・・ということを。

 

 

でも、

そうではなくて彼らが。

 

本当にただのエゴイストや

サディストだったのだとしたら。

 

なんだかもう。

 

愚かすぎて、

哀れすぎて。

 

 

ただ。

 

違う学年が同じ教室で学ぶ。

 

・・・というこの状況。

 

 

それは、

 

「すべてである私(神)」

 

・・・の中にあった

「ひとつの可能性」です。

 

 

たくさんある可能性の中から

この可能性をこの地上で

実現させてしまった今の状況に対する

責任というものは。

 

グローバリスト達だけでなく。

 

私達人類、

全体にあるのだと。

 

私は思っていますぐすん

 

 

 だから。

 

どうすれば

現実を変えられるのかと、

 

日々、

考えに考えていますが。

 

 

私にはやっぱり。

 

ひとりひとりが、

自分自身のカルマを

落としていくこと。

 

これしか

 思い浮かばないのですよね。

 

 

意識の世界がまずあって、

それが目に見える形で現れたのが、

 

この物質世界である。

 

・・・というのが。

 

私の真実だからです。

 

 

でも。

 

こういうことは、

太古の昔からずっとずっと

伝え続けられてきていたにも

関わらず。

 

世界の、人類のカルマは。

 

いっこうに、

解消されないのですぐすん

 

 

このカルマがおそらく、

キリスト教がいうところの

 

「原罪」

 

・・・であり。

 

 

私達が「自我」だけを

自分だと思い続けるという

 

「思考癖」

 

・・・なのだと、

 

私は思います。