今、以前に書いた日記を

再アップしていると。

 

ものすごく感じるのは。

 

あれを書いていた頃と

現在とでは。

 

世の中がもう、

全然違うなぁ。

 

・・・ということで。

 

 

たった4年ですが。

 

やはり、

コロナ前とコロナ後では。

 

ハッキリと変わった気がします。

 

「流れ」が。

 

 

バブル期を経験したせいか。

 

私は心のどこかで、

 

日本はこの先もずっと、

成長していくものだと。

 

そう思い込んでいました。

 

 

栄枯盛衰。

 

・・・が世の常であると

頭では解っていましたが。

 

それでも。

 

以前よりもこの先のほうが

より良くなっていく。

 

・・・という思い込みが

私にはあったようです。

 

 

けれども。

 

今の日本はどう見ても、

以前より、悪い。です。

 

 

*******

 

 

先日、

「特攻隊」に関する映画を

観ましたが。

 

 

あの時代、あの時。

 

特攻に行った人たちは。

 

日本のこんな未来を

想像したのだろうか。

 

・・・と思うと。

 

なんだかとても。

 

申し訳ない気持ちに

なったりします。

 

 

そんな特攻隊のお話で。

 

有名な「蛍」のお話が

ありますね。

 

 

こちらのサイト↓から少し、

転載させていただきます。

 

 

 

 

宮川 三郎少尉  享年二十
 

昭和元年六月五日生 

新潟県小千谷市出身
昭和二十年六月六日 

 

陸軍特別攻撃隊第一〇四振武隊
戦死後 二階級特進 少尉任官

 

 

 大東亜戦争末期、

敗戦の色濃くなった日本軍が取った

「と号作戦」いわゆる「特攻」。

 

10代~20代の若い隊員たちが

航空機に250キロ爆弾を抱え、

 

連合国の艦船に突入する

百死零生の攻撃方法です。

 

宮川少尉も

特攻隊員でした。

 

 

宮川三郎少尉は

昭和二十年五月半ば、

 

特攻基地のある「知覧」の

富屋食堂に姿を現しました。

 

生まれは雪国「新潟」の小千谷、

色白でハンサムな男性でした。


知覧に近い「万世飛行場」から、

一度は特攻出撃したものの、

 

機体の調子が悪く

帰還した経緯がありました。

 

そのせいで、

生き残りの烙印を押され

不忠の汚名を着せられました。

 


そんな宮川少尉と

いつも連れ立っていたのは

滝本伍長でした。

 

彼もまた、

同じく万世から出撃し

帰還した一人でした・・・。

 

 

宮川少尉は、

富屋食堂で奇跡とも言える再会を

果たします。

 

その相手は「第五十振武隊」の

松崎義勝伍長です。

 


松崎伍長は、宮川の故郷、

新潟県小千谷高等小学校在籍当時の

良きライバルでした。

 

2年間ではありますが、

机を並べた仲でした。

 

卒業後、

それぞれの道に進んでいたので、

まさに「奇跡」と呼べる

再会でしたが、

 

そのわずか二日後、

松崎伍長は出撃し

還らぬ人となりました。

 

そしていよいよ、

宮川少尉にも

出撃の命が下ります。

 

 

運命の出撃は六月六日。

 

その前日は宮川少尉にとって

満二十歳の誕生日でも

あったのです。


鳥濱トメは出撃前夜、

富屋食堂で心づくしの

手料理を振る舞い、

 

宮川少尉の誕生祝いと出撃の

はなむけとしました。

 


トメの愛娘である礼子や、

知覧高等女学校の生徒たちは

「なでしこ隊」として、

 

宮川少尉ら特攻隊員の身の周りの

世話をしており、

 

出撃前日には血染めの

日の丸の鉢巻きを作って

手渡していました。

 

宮川少尉はお礼に、

当時としては高価だった、

兄からもらった万年筆を

 

「俺だと思ってくれ」と

礼子に渡しました。

 

 

出撃前夜は空襲警報が鳴り響き、

宮川少尉と滝本伍長、

そしてトメと愛娘のふたりは

防空壕へ2~3回入りました。

 

防空壕を出た5人が

外を飛び交う蛍に見入った

ちょうどその時、

 

宮川少尉は、

ある約束をします。

 


「おばちゃん、俺、

心残りのことは

なんにもないけど、

 

死んだらまた、

おばちゃんのところへ

帰ってきたい。

 

なぁ、滝本。」

 

 

滝本もうなずきました。

 


「そうだ、蛍だ、

俺、この蛍になって

帰ってくるよ。」


 

トメは

 

「ああ、

どうぞ帰っていらっしゃい。」

 


宮川少尉は腕時計を見ながら

 

「九時だ。

じゃ、明日の晩の今頃に

帰って来る事にするよ。

 

俺たちが入れるように、

店の正面の引き戸を少し

開けておいてくれよ」

 


トメは

 

「わかった。

そうしておくよ。」

 

と答えます。

 


宮川少尉はさらに続けて、

こう言ったのです。

 


「俺が帰ってきたら、

みんなで<同期の桜>を

歌ってくれよ」
 

 

トメは涙をこらえながら

伝えました。
 

「わかった、

歌うからね・・・。」

 

 

出撃の朝は

雨が降りしきっていました。

 

その日の夕刻、

トメが店を片付けていると

出撃したはずの滝本伍長が

入ってきました。

 

宮川少尉と滝本伍長の二人は、

出撃したものの雨で

視界が悪かったため、

 

沖縄までたどり着くことが

できるかどうか怪しいほどでした。

 

滝本伍長は二度、三度となく

宮川少尉に引き返すよう促しますが、

 

宮川少尉は

 

「おまえは帰れ、

俺はいく」

 

という身振りで、

一向に戻ろうとせず、

 

ついに、滝本伍長はひとりで

知覧に引き返してきました。

 


夜になってラジオが

9時を告げ、

 

ニュースが始まって

すぐのことでした。

 

わずかに開いた

表戸の隙間から

 

一匹の大きな蛍が

入ってきたのです。

 


二人の娘たちは、

ほぼ同時にその光景に気がつき

叫び声をあげました。

 


「お母さーん、宮川さんよ、

宮川さんが帰ってきたわよ!」


トメは息を呑みました。

 


そこには、

紛れもなく帰ってきた

「宮川少尉」がいたのです。

 

気がつくと、

店にいた兵隊たち、滝本伍長、

そしてトメと娘たちは

 

「同期の桜」を

歌い始めていました。

 

 

貴様とおれとは
同期の桜
おなじ航空隊の
庭に咲く
咲いた花なら
散るのは覚悟
みごと散りましょ
国のため

 

貴様とおれとは
同期の桜
離れ離れに
散らうとも
花の都の
靖国神社
春の小枝で
咲いて逢ふよ

 

 

宮川三郎少尉

 

 

*******

 

 

何度聞いても、

胸に来るお話です。

 

 

新潟の小千谷と言えば。

 

小学校の時の担任の先生の

出身地だなぁ。

 

・・・なんてことを、

思い出しました。

 

 

父が亡くなった時。

 

いろいろと

不思議なことがあり。

 

 

だから私も

なんとなく。

 

その魂が、

何かに乗り移る。

 

・・・ということは、

あるような気がしています。

 

 

特に虫は。

 

乗りやすいのかもなぁ。

 

・・・と。

 

 

先日。

 

いつも普通に聴いていた

この歌の歌詞が。

 

急に胸に響いてきて

泣けてしまいました。

 

 

私の中で。

 

特攻隊の蛍の話と。

 

リンクしたのだろうと思います。

 

 

『蛍狩り』リーガル・リリー