小池百合子さんが

当選していたのを見て。

 

「やっぱり」

 

・・・という気持ちと、

 

「あーあ、がっかり」

 

・・・という気持ちが

湧いてきました。

 

 

2020年にアメリカの

大統領選があった時。

 

「バイデン・ジャンプ」

 

・・・なんて言葉が

飛び交っていましたが。

 

 

「どうせ、小池ジャンプとか

蓮舫ジャンプが起こるんじゃない?」

 

・・・と。

 

半分、思っていました。

 

 

今回の結果を見て。

 

なんだかなぁ。。。

 

なんて言ったらいいのか。

 

 

*******

 

 

バイデン・ジャンプで

思い出しましたけれども。

 

今、このブログで

ポツポツ再掲載している、

 

「イエソドのドラマ」

 

あれを前のブログで

書いていた頃は

2019年~2020年で。

 

書き終えた頃はちょうど、

目前にアメリカ大統領選を

控えていた頃でした。

 

 

今年もまた、

大統領選はありますが。

 

そうか。

 

あれからもう、

4年も経ったのか。

 

・・・と思うと同時に。

 

あの頃と今とでは。

 

世の中も、

そして自分自身も。

 

だいぶ変わったなぁ。

 

・・・なんて思いました。

 

 

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こんなことを

つらつらと書いていたら、

 

生協の宅配がきて。

 

配達のお兄ちゃんと少し、

世間話をしていました。

 

 

この季節、

人と会うとだいたい。

 

「暑いですね~」

 

・・・から会話が始まりますよね。

 

 

お兄ちゃんは。

 

こんなに暑い日は、

仕事でなければずっと

家にひきこもっていたい。

 

・・・と言っていました。

 

 

ホント、そうだよね。

 

お仕事ご苦労様です。

 

・・・という感じです。

 

 

小池さんが都知事に

なってしまったし。

 

このままでは真面目に、

 

今後の日本にはあまり、

明るい未来がなさそうで。

 

 

そこにフォーカスし始めると、

どこかどんよりとした

気分になってきたりしますが。

 

 

それでも。

 

この暑い中、

外に買い物に行かなくても

食材は届けてもらえるし。

 

こうして衣食住にも困らない

穏やかな毎日を送れている

今の自分の現状は。

 

やっぱり。

 

幸せなのだなぁ。とおやすみ

 

 

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昨日、

 

亀梨和也くんが出ている、

 

『正体』

 

・・・というドラマを観ました。

 

 

 

 

なんだか久しぶりに。

 

余韻が残るドラマを

観たような気がします。

 

 

これは、

 

「冤罪」

 

・・・を軸にした人間ドラマで。

 

 

ドラマと原作の小説とでは、

エンディングが違う。

 

・・・とのことで、

ちょっと調べてみたら。

 

原作の結末は、

ドラマよりもよりリアルで。

 

なんというか。

 

「人間の弱さ」

 

・・・が浮き彫りになった

お話のようでした。

 

 

キリスト教では

この「弱さ」を、

 

「原罪」

 

・・・と呼んでいますね。

 

それは、

「罪」だとされています。

 

 

今の世ではそれを、

 

「闇」

 

・・・と言うことも

多いようです。

 

 

「人間の闇」とか、

「社会の闇」とか。

 

 

でもこういう闇は。

 

人間なら誰しも、

持っているもので。

 

 

結局それって。

 

「自我(エゴ・セルフ)」

 

・・・なのだと。

 

私は思っています。

 

 

そして。

 

自分の中にあるそれを

克服するために。

 

この地上の世界では、

人生のドラマが起こるのだと。

 

 

人間である限り、

それを完全に捨て去ることは

不可能に近いと思います。

 

私自身も、

ここにいる間は。

 

人間であるうちは。

 

きっと。

 

ずっとその弱さと、

共存していくのでしょう・・・

 

 

おかげさまで今は。

 

何が起こっても、

 

そこに巻き込まれて右往左往

することはなくなりました。

 

カルマを清算するための

大きなドラマも起こらず。

 

日々、のんびりと

穏やかに過ごしてはいますが。

 

 

それでも。

 

世に起こるドラマを見て、

 

それは現実のドラマでも、

フィクションのドラマでも。

 

そういう「人間ドラマ」を

観たときは。

 

すべて解ったつもりに

なるのではなく。

 

その都度、

 

「考える」

 

・・・ということはやはり、

放棄してはいけないのだな。と。

 

 

最近は。

 

そんな風に感じることが

多いです。