【ブロードサイド・バラッド】

 

 

 

 

 

 

 

 

オールド・バラッドが

しぶとく生きつづけた一方で、

 

印刷技術が普及した

16世紀になると、

 

現在の新聞の遠い先祖にあたる

ブロードサイドと呼ばれる

情報誌(実際はビラに近い)が

誕生する。

 

識字率が低かった

田舎の人々に、

 

ブロードサイドを買わせるために

活用されたのが歌だった。

 

つまり、

ニュースをバラッドの体裁に

仕立て、

 

よく知られていたメロディにのせて

歌いながら販売したのである。

 

ブロードサイドの販売に

従事したのは、

 

路上の行商人や

半放浪の行商人である

チャップマンなど、

 

都市で生きた、

 

あるいは、

 

都市から農村へと

街道を渡り歩く社会の

底辺に属する人々だった。

 

 

 

 

オールド・バラッドに対して、

こうしたバラッドは

 

ブロードサイド・バラッドと

呼ばれる。

 

 

 

 

ブロードサイドは

大きな一枚のザラ紙で、

 

バラッドの歌詞が片面に

印刷され安い値段で

売られていた。

 

説教や布告といった

類のものが印刷されている

場合も多かったと言われる。

 

最初のブロードサイドが

いつ登場したかは

はっきりしていないが、

 

英文学の研究者のあいだでは、

最盛期は1550年頃からの

200年間で、

 

ほとんどの

ブロードサイド・バラッドは

忘れられ、失われたと

されているらしい。

 

だが、18世紀後半から

19世紀にかけて作られ、

 

今世紀にまで歌い継がれた

ブロードサイド・バラッドは

数多く、

 

忘れられていたはずだった歌が

現在も続々と発掘されている。

 

 

ペラ1枚だった

ブロードサイドは、

 

やがて二つ折り・四つ折りにされ、

 

ジョーク、小説、暦などを

満載した小さな

パンフレットとなり、

 

チープ・ブックから

チャップ・ブックへと

変容していった。

 

そのチャップ・ブックが

盛んだった18世紀半ば以降も

 

ブロードサイド

(両面印刷されたものは

ブロードシートと呼ばれた)は

存在しつづけ、

 

長い歌になると

フィート単位で売られて

 

パブの壁にまで

張り出されたという。

 

 

特筆しておく必要があるのは、

 

ブリテンで作られた

ブロードサイドや

ブロードシートは、

 

アメリカへも大量に

送られていたという

事実である。

 

イングランドやスコットランドで

忘れられていた歌が、

 

アメリカで記憶されていたり

アメリカ風に改作された形で

再発見されることが

珍しくない原因の一部は、

 

大西洋を渡って行った

ブロードサイドにも

帰されるのだろう。

 

 

(『バラッドの世界』より抜粋)

 

 

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William Caxton

1476年にロンドンの

ウエストミンスターの地に

イギリス最初の印刷所を開設して以来、

 

「ブロード・シート」と

呼ばれる片面刷りの大判紙に

歌を印刷し、

 

路上でうたい、売るという

新しいタイプのバラッドが

生まれた。

 

印刷された大判紙の名前から、

 

この種のバラッドを

 

ブロードサイド・バラッド

 

ないし、それが路上で

売られたことから

 

ストリート・バラッド

 

と呼んだが、

 

口承バラッドが長い年月をかけて

独特の様式化された

物語形式を生み出したのに

対して、

 

こちらは、

政治的・社会的事件を

文字にして即刻人々に

伝えるという

 

ジャーナリスティックで教訓性に

満ちたものであり、

 

テキストとして固定された点が

大きな違いである。

 

しかし、以来、

もともと口承であったものが

ブロード・シートに

登場したり、

 

逆に、

最初はブロードサイド・バラッド

として生まれたものが

口承化したり、

 

両者の交流は

時代と場所の変化のなかで

交錯していったというのが

実情である。

 

そういう理由で、

両者をまとめて

「伝承バラッド」と呼ぶ

場合も多い。

 

 

両者が決定的に違う点は、

 

口承においては

歌の聞き手(audience)は

同時に歌い手(参加者)にも

成りえたのに対して、

 

ブロードサイド・バラッドに

おいては、

 

聞き手はあくまでも

受け身的な聞き手になった

ことであろう。

 

 

(『バラッド詩学』より抜粋)

 

 

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そして、印刷技術の発達は

Minstrel(※吟遊詩人)に変わって

ブロードサイドの出現を

促すことになる。

 

このミンストレル・バラッドの

流れを汲む

ブロードサイド・バラッドの

最隆盛期は1550年から

1750年に至る間で、

 

なかでもシェイクスピア時代は

後世に名をとどめることになった

 

デロニー

Thomas Deloney 1543?-1600?)

 

パーカー

Martin Parker  d. 1656)

 

エルダートン

William Elderton 1559-84)

 

など著名のバラッド作者を

輩出している。

 

<中略>

 

ブロードサイド・バラッドは

片面印刷で木版刷りの絵の下に

 

black-letter(ゴシック体)で

歌詞を配し、

 

長いタイトルの下に、

たとえば、

 

'To the tune of Greensleeves'

(グリーンスリーブスの曲に合わせて)

 

とか、

 

'To the tune of Meadow Brow'

(メドウ・ブラウの曲に合わせて)

 

とか当時人口に膾炙していた

曲節を示していた。

 

売れ行きを考えて、

印刷所は馴染みの曲節探しに

より熱を入れたといわれる。

 

 

(『バラッド研究序説』より抜粋)

 

 

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日本語において

ゴシック体と呼ばれる書体は

 

アルファベットの書体としては

サンセリフであり、

 

英語において

ゴシック体(Gothic Script)と言うと

 

通常は

ブラックレターを指すので

注意を要する。

 

(ウィキより)

 

 

 

余談ですが。

 

ちょっと、

思い出したものウインク

 

 

 

 

 

 

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【スカボロー・フェア聴き比べ】

 

 

The Scholars (vocal group)

イギリスの

アカペラ・グループです。

 

主にクラシックの分野で

活動していたそうです。


教会で聴くミサ曲みたいな、
『スカボロー・フェア』

 

 

The Scholars 『Scarborough Fair』(1988)

 

 

 

ジャスティン・ヘイワード

 

 

イギリス人。

ムーディー・ブルース」という、
プログレの先駆けバンドで、
ヴォーカルをやっていた人です。

 

 

この『スカボロー・フェア』は。

プレグレというより、
シンフォニック・ロック?

・・・というより。

思いっきり、
クラシックなような?

 

 

Justin Hayward 『Scarborough Fair』(1989)

 

 

 

Cordelia's Dad


このバンドは。


フォークとパンクの
影響を受けて。

のちに、
「No Depression」を
生み出すことに貢献した。

・・・みたいなことが
書いてあって。


「No Depression」って
なんぞや?うーんと思って、
調べてみたら。


Alternative country

オルタナ・カントリー

 

 

パンクとフォークの

融合??


パンク自体は、
実は好きなのです。
 

この演奏も雰囲気も。


嫌いじゃない。


でも。

『スカボロー・フェア』と
言うからには。

歌詞を勝手に
変えないで~~えーん

 

・・・と。

 

ちょっと思いましたにやり

 

 

Cordelia's Dad 『Scarborough Fair』(1990)