Detail of dancers during 

「la karole damours」 

from the Roman de la Rose

(大英博物館)

 

 

 

キャロルについて。

 

こちら↓のサイトからの

翻訳を。

 

もう少し、

メモしておきます。

 

 

 

 

キャロルには、

二つの形式がありました。

 

・ブランル

 

・ファランドール

 

 

他の種類のキャロルに関する

現存する証拠は他にありません。


キャロル自体は

フランス語です。 

 

しかし、

キャロルという用語が

何を意味するのかは不明です。

 

私たちが知っている情報源、

図像、音楽は主に

フランス語であるため、

 

主にフランスのダンス、

またはフランス文化の

強い影響下にある地域の

ダンスと考えられています。 

 

ただし、

ダンテの『神曲』にも

キャロラとして

登場する踊りであり、

 

イタリアでも

流行していたことを

示唆している可能性が

ありますが、

 

イタリア人はこの用語を

エレガントな踊りを

表すのにも使います。


キャロルは、

万人に人気のある

初期のダンス形式

だったようです。 

 

カップルのダンスだった

可能性を示唆する人もいます。 

 

しかし、

それは社交的な

グループダンスであり、

 

人々が手をつないで

踊るということで

一般的に認められています。

 

注目すべきは、

それが円形のダンスだった

ということです。 

 

これがその特徴でした。

 

 

Carole in Roman de la Rose 

「Guillaume de Machaut, 

Virelai Dame a vous sans retollir」

 

 

“COME LET US MAKE 

A ROUND IN THE CAROLE”


The Romance of the Rose, 

Guillaume de Lorris

 

 

Dancing shepherds,

 from the Hours of Charles d’Angoulême, 

1475-1500

 

 

中世の情報源では、

ダンサーは物体の周りで踊り、

左側に向かって動くことが

奨励されていました。 

 

これらのダンスは常に

ダンス・スペースの周りを流れ、

 

即興で流れるような

ダンスの変化が見られました。 

 

しかし、

この円を描いて

左に移動するダンスは

 

どこでも支持されたわけでは

ありませんでした。



「その踊りは悪魔を

中心とする円であり、

 

その中で全員が左を向くのは、

全員が永遠の死に向かって

いるからである。

 

足と足が押し付けられたり、

女性の手に男性の手が

触れたりすると、

 

そこに悪魔の火が

点火される」


Jacques de Vitry、

13世紀フランスの神学者

 

 

Lancelot at the Carole Magique, 

Lancelot du Lac, c. 1470

 

 

キャロルは通常、女性のみ、

または男性と女性の

組み合わせによって

踊られました。 

 

おそらく、

混合ダンスでは、

 

男女が均等な間隔で

並んでいたでしょう

(男、女、男、女…)。

 

 

こうしたおかしな設定は、

論外であると、

 

もっと簡単に説明されいる

ものもありました。

 

 

中世の恋愛文学では、

騎士と淑女が一緒に

キャロルをするのは

よくあることですが、

 

中世の道徳主義者にとって

それは悪とみなされました。


「…なぜなら、

 

キャロルをする男女は皆、

優雅に向きを変えたり、

腕を動かしたり振ったり、

 

歌ったり、

不名誉なことを

言ったりすることで、

 

体のあらゆる部分で

罪を犯しているからです」


Le Miroir du Monde

 

 

Dancing peasants in a wall painting 

by Albertus Pictor in Härkeberga church, 

Uppland, Sweden, c. 1480

 

 

このような

「とんでもない」

ダンスですが、

 

キャロルは実際には

どのように

演じられたのでしょうか? 

 

それは

決まった振り付けされた

ダンスではなく、

 

さまざまな方法で実行できる

ダンスであることが

示唆されています。 

 

重要なのは、

キャロルは歌いながら

踊るダンスでもあった

ということです。 

 

 

例えばチョーサーは、

 

イングランド国王ヘンリー4世の

母親であるランカスター夫人に

ついて書いており、

 

 

「ダンスはとても美しく、

 

キャロルを優しく

歌っていた。

 

天はこれほど至福の

宝物を見たことはない」 

 

 

と言っています。

 

 

歌のカテゴリーの中に、

ダンスに伴うものとして

「キャロル」と呼ばれる種類の

歌がありました。 

 

一緒に踊ったり

歌ったりすることは、

 

一つの活動として

みなされました。

キャロルは15世紀まで

人気が続きました。