聖書のアロン

 

 

イスラエルとハマスのことで

思うことがたくさん

あるのですが。

 

ありすぎて

まとまりませんショボーン

 

 

書くことで頭の整理が

出来るかもしれないので。

 

とりあえず、

箇条書き程度にメモを。

 

 

*******

 

 

ミッションスクール時代。

 

神だ、奉仕だと言われ続けて、

何かを強制される感じがして。

 

反発心しかありませんでした。

 

 

けれどもその数年後、

神秘体験により。

 

キリスト教の人達の言う

「神」を。

 

その「本当の姿」を。

 

つまり、

 

「全てである私」

 

・・・を知って。

 

・・・というか、

それに戻って。

 

それが自分自身で

あることを知り。

 

なるほど。

 

・・・と、

一瞬でいろいろなことを

理解しました。

 

 

その時に

しみじみ思ったのは。

 

 

宗教とは。

 

「道を遠回りさせるものだ」

 

・・・ということでした。

 

 

*******

 

 

宗教には、

顕教と密教がありますが。

 

 

顕教というのは、

道徳とか正しい在り方を

説くもので。

 

この「正しい在り方」と

いうものはつまりは。

 

いかにカルマを

増やさないか。

 

・・・という在り方です。

 

 

ダスカロスの

言葉で言うとそれは、

 

余計なエレメンタルを

創らないようにする。

 

・・・という在り方です。

 

 

キリスト教の場合で

言うと。

 

イエスが一生懸命。

 

「喩え話」

 

・・・を使って

「民衆」に伝えたかったことは、

 

それです。

 

 

知識のない人々にも

要点が伝わりやすいように。

 

「喩え話」

 

・・・を使ったのです。

 

 

この話で言えば。

 

イエスは、

人間意識を体現していた人で。

 

民衆は、

植物意識の人達です。

 

 

植物意識の人達は、

人間意識の人からの指導を

素直に実践して。

 

それを信じて、

それに従って生きれば。

 

正しい在り方。に

「近い」在り方で

生きることが出来て。

 

その分、カルマの荷物を

増やしすぎるリスクが

減ります。

 

カルマが

完全になくなった時は。

 

彼らの言う、

「天国」に行けます。

 

天国というのは。

 

私的にはそれはつまり。

 

源に還る。

 

「すべてである私」

 

・・・に還ることですが。

 

 

これを、

何も知らない植物意識の

民衆に。

 

そのまま伝えたところで

理解されませんから。

 

イエスは。

 

「喩え話」

 

・・・を使ったのです。

 

 

イエスの側近の弟子たちは

おそらく。

 

もっと高度な修行を

していたことでしょう。

 

それはきっと、

密教的なもので。

 

密教とは。

 

神秘体験を通して、

神を直接体験するものです。

 

それが起こればもう。

 

言葉での説明は、

必要なくなります。

 

頭ではなく、

もっと深いところで

それを理解するからです。

 

 

ヨハネなど。

イエスの側近の弟子たちは、

当時は主に動物意識

だったかもしれませんが。

 

おそらく。

 

その過去生のうちに、

 

もうすでに、

ある程度のところまでは

意識が成長していた

人だったのだろうと。

 

私は勝手に

思っていて。

 

なので、

イエスと出会うことで

彼らは活性化され。

 

その人生の中で、

 

人間意識や

トランスパーソナル意識を

目覚めさせた人も

 

いたのだろうと思います。

 

 

ただ。

 

イエスの死後に

弟子になったパウロは。

 

これは私見ですが。

 

あの人は、

動物意識のままだった。

 

・・・と。

 

そう感じるのです。

 

なぜ?

 

・・・と言われると

うまく説明出来ませんが。

 

イエスの教えが、

教会の教えに。

 

つまりパウロ教に

変わった時に。

 

何かが変わってしまった。

 

・・・と。

 

私は感じるからです。

 

 

そして。

 

まだ動物意識である人に

支配され導かれる

植物意識というものは。

 

道を誤りやすいのです。

 

 

なぜなら。

 

動物意識自体がまだ、

成長途中の意識であり。

 

「強い自我意識」

 

・・・が、

まだその人を

支配しているからです。

 

 

*******

 

 

イエスは、

ユダヤ教のエッセネ派だった。

 

・・・という説も

ありますが。

 

その真偽はともかく。

 

イエスはユダヤ人でした。

 

それは、

 

彼が神の化身であろうと、

普通の人間であろうと。

 

変わらない事実です。

 

 

なので。

 

そのイエスが。

 

ユダヤ教の教えを、

全く知らなかった。

 

・・・ということは、

ありえないことで。

 

少なからず彼も。

 

その教えの影響は

受けていたのだろうと

思います。

 

 

ユダヤ教の教えは。

 

一説では、

エジプトのファラオ、

アクエンアテンの教えの

影響を受けている。

 

・・・と言われていて。

 

アクエンアテンは

当時は多神教だった

エジプトで、

 

「アテン」

 

・・・を、唯一の神とし、

世界で初めて

 

「一神教」

 

・・・を説いた人。

 

・・・と言われています。

 

 

私はこの歴史を

初めて知った頃は。

 

 

アクエンアテンに

ある時。

 

「すべてである私」

 

・・・を知る

神秘体験が起こり。

 

いきなり、

真実に目覚めたから

なのだろう。と。

 

そう思っていました。

 

 

けれども。

 

政治的な方面から

物を見る人達の中には、

 

それはあのファラオと

周囲の神官たちとの

権力闘争の末の選択だ。

 

・・・と言う人もいて。

 

 

そうか。

 

そういう

可能性もあるよね。

 

・・・と思いました。

 

 

なので。

 

アクエンアテンが

人間意識だったのか。

 

それとも

動物意識だったのか。

 

そこは、

わからなくなりました。

 

 

けれども

どちらにしても。

 

あの時点で、

 

「一神教」

 

・・・という「捉え方」が

この世界に登場したことは

事実で。

 

この事実が、

すべてです。

 

つまりそれが、

 

「神の意志」

 

・・・なのだと

私は思いました。

 

 

そこに影響を受けて

ユダヤ教が発生し。

 

そのユダヤの中に

イエスが生まれ。

 

ユダヤ教が、

時代に合わせて

アップデートされ。

 

そこまででもう、

十分だったのに。

 

 

なぜ、

イスラム教まで生まれる

必要があったのだろう?

 

・・・と。

 

 

今の私にはまだ。

 

その必然性の意味が、

ハッキリと見つけられません。

 

 

預言者ムハンマドに

お告げが降りてどうこう。

 

・・・みたいな。

 

そんな表面的な。

 

・・・というか、

顕教的な話ではなく。

 

 

そのもっと

深いところにある

 

「神の意志」

 

・・・のようなものが。

 

まだハッキリと、

捉えられないのです。

 

 

*******

 

 

一神教であれ、

多神教であれ。

 

結局、

どちらも同じです。

 

 

同じものを、

違う角度から捉えている

だけのことです。

 

 

この世界の人は、

十人十色ですから。

 

同じものを見ても、

人それぞれ、

捉え方は違い。

 

 

何をどう信じようとも、

それでその人が

幸せだと感じているので

あれば。

 

それがなによりだ。

 

・・・と、

私は思いますし。

 

 

自分の思いを

大事にするのであれば。

 

他の人の思いも

同じように。

 

尊重しなければ。

 

・・・とも思います。

 

 

なので。

 

それを許容できない

宗教は怖いです。

 

 

あの、

ヴァチカンが猛威を

振るっていた時代の

キリスト教も。

 

歴史の中で、

とんでもなく残虐なことを

していたりしましたが。

 

 

今のイスラム教の

在り方を見ていると。

 

なんだかそれと、

被ったりするのです。

 

 

これは。

 

宗教のせい。

 

・・・というよりも。

 

人の意識のレベルの

問題なのかしら。

 

・・・とも

思ったりしますが。

 

 

なんだか今。

少し。

 

怖いのです。

 

 

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以前、

ベリーダンスをやっていた頃。

 

アラブの人達とも

多少関わったことが

ありましたが。

 

彼らは日本人とはやはり、

気質や常識が全然違っていて。

 

アメリカや

ヨーロッパの人達のほうがまだ、

 

私達と常識が近いような

印象を受けました。

 

 

なので、

アラブの人達のことを、

 

日本人フィルターを

通して理解しようとすると。

 

きっと、

間違うと思います。

 

 

イスラム教は。

 

そういう、

私達とは全く違う風土や

気質の中で

育まれてきた宗教で。

 

仏教だって。

 

チベット仏教と

日本の仏教はまるで

違うように。

 

やはりそれが育った

土壌の何かを。

 

その宗教は

吸い上げていて。

 

 

そういう宗教を

「軸」として生きている

動物意識に支配される

世界って。

 

想像しただけでも、

息苦しく。

 

 

けれども。

 

それが世界平和であると

心底信じている人達も

この世界にはいて。

 

 

本当に。

 

イスラム教を信じている

人には申し訳ないのですが。

 

もし、

 

イスラム教というものが

この世界に存在しなかったら。

 

この世界は今。

 

どういう世界になって

いただろう?

 

・・・と考えてみたり。

 

 

ただ。

 

この現実の世界で

起こることは。

 

すべては私達人類全体の

意識の反映ですから。

 

もしイスラム教が

存在しなくても。

 

そこにはそれに代わる

何かが。

 

出現していたのでしょう

けれども。

 

 

あぁ。。。

 

やっぱり、

全然まとまりませんね泣き笑い