『エルサレム入城』アッシジ南大聖堂

ピエトロ・ロレンゼッティ

(1320年)

 

 

カバラの本を

いろいろと読み返しているうちに。

 

ユダヤのことを

もっと深く理解したい。

 

・・・という気持ちが、

とても強くなってきました。

 

 

ユダヤについては、

これまでも。

 

その表面をなぞることは

よくありましたが。

 

「その民族を理解したい」

 

・・・という気持ちが

ここまで強くなったのは。

 

今回が初めてかも

しれませんにっこり

 

 

*******

 

 

イスラエルやエルサレムの

歴史について。

 

ユダヤ人について。

 

いろいろ動画を見ていたら。

 

キリスト教会の牧師さんの

動画を見つけました。

 

 

さすがに。

 

長年そういう世界を

研究されてきた方だけあって、

 

牧師さんのお話は、

とてもお勉強になります。

 

表面だけの、

上滑りな知識では

ないからですにっこり

 

 

それでも私は。

 

牧師さんのお話というものは、

いつも。

 

最後までは

聞けないのです真顔

 

 

なぜなら。

 

私は「信者」では

ないからですにやり

 

 

そういう点で。

 

「うーーーんぼけー

 

・・・という気持ちになり。

 

 

それ以上見ていると、

モヤモヤが湧いてきそうなので、

 

途中でやめてしまうのですネガティブ

 

 

キリスト教の信者の方々は、

イエスのことが好きで好きで

たまらなくて。

 

だから彼らは。

 

「イエス様」

 

・・・と呼んでいて。

 

 

そして。

 

聖書を丸ごと、

「事実」として信じています。

 

 

もしかすると、

本音ではどこかに少しは

疑いの気持ちはあるのかも

しれませんが。

 

それはきっと。

 

自身の中で

打ち消しているのだろうな。

 

・・・なんて

感じたりもします。

 

 

自分に言い聞かせている。。。

 

「信じる」

 

・・・と。

 

 

なぜなら。

 

「信じること」

 

それが彼らの

お仕事だからです。

 

 

そしてそれが、

その人たちの選択した

「生き方」であるのならば。

 

それはそれで、

良いのだと思います。

 

 

・・・が、私には。

 

その生き方は

選択できませんおやすみ

 

 

こういう感じのことを

言うことで、

 

教会のおばさんからは

「罪びと」扱いされましたし。

 

母からは、

「我が強い」と言われたりと。

 

これまで散々な目に

合ってきましたのでニコニコ

 

 

しみついた反応として、

未だに。

 

宗教信者の人のお話には、

拒絶反応が出るわけですが。

 

 

けれどもこの反応は。

 

運命だとも思っています。

 

 

今回の人生では、

その道に進まないようにと。

 

配置されたドラマにより

創られたものですからおやすみ

 

 

そしてこの反応は。

 

何もキリスト教に

限ったことではなく。

 

「信者」

 

・・・という生き方に対して

起こる反応ですので。

 

こうしてカバラや

ユダヤに関心を持つ今でも。

 

私は、

ユダヤ教の信者には

なれないです。

 

 

ただ。

 

「学問」としてそれを

学ぶことには。

 

とても惹かれますおやすみ

 

 

*******

 

 

そんなことを

言ってはみても。

 

私はやはり、

そういう宗教的な世界には。

 

・・・というか、

聖書的な世界には、

 

とても縁があるのだろうと

思っていたりします。

 

 

今回の人生だけを見ても。

 

そういうことは、

人生の所々で現れてきて

いましたからおやすみ

 

 

あれはまだ、

8歳か9歳頃だったと

思いますが。

 

父が仕事で長崎に

単身赴任をした際に。

 

お土産に、

クロスのペンダントを

買ってきてくれました。

 

そのクロスには、

イエスがついていました。

 

 

私はそのペンダントが

なぜかとても気に入って。

 

それ以来、

肌身離さず。

 

学校に行く時も

服の下にいれて。

 

ずっとつけていました。

 

 

ある時、

イエスがはずれてしまい。

 

十字架だけの

ペンダントになって

しまいましたがニコニコ

 

それでもずっと、

つけていました。

 

 

中学の時。

 

長崎のまちを気に入った父が、

家族をそこに連れていき。

 

その時、

大浦天主堂の中で、

 

とても厳かな気持ち。

 

・・・というものを

体験しました。

 

 

それ以来。

 

キリスト教には、

どこか憧れのような気持ちを

持っていたような気がします。

 

 

英語が勉強したくて。

 

・・・で選んだ学校が、

「たまたま」ミッションスクールで

あったのも。

 

今にして思えば。

 

「縁」

 

・・・によるものだったの

だろうと思います。

 

 

そして。

 

その学校に行ったことで、

私は逆にキリスト教が

嫌いになり。

 

宗教アレルギーになった。

 

・・・というのもまた。

 

このドラマの、

面白いところですおやすみ

 

 

信者にならない道に進む、

決定的な要因となったものは

やはり。

 

高校卒業後に体験した、

 

あの、

 

19歳の時の

 

「神を見る」

 

・・・という体験でしたがおやすみ

 

 

やっぱり。

 

成るように成っているのです。

 

何事も。

 

 

なので、もし。

 

今回の人生で、

宗教の信者になる道を

設定していたのなら。

 

もっと。

 

違うドラマが展開していた

ことだろうと思います。

 

 

だから。

 

幼いころの。

 

大浦天主堂あたりまでは

そっち方向だったのは、

きっと。

 

そこまでは、

前世のどこかで辿った道の、

おさらいみたいなもの。

 

・・・だったのだな。と。

 

今は思っています。

 

 

そして。

 

晩年の今頃になり。

 

また、聖書の世界に

戻ってきたのも。

 

 

きっと。

 

これも何かの縁。

 

・・・なのでしょうね。

 

 

そういう風に私は。

 

自分の人生に、

意味をつけていっているのですおやすみ

 

 

*******

 

 

そんなことを

つらつらと考えていたら。

 

こんな動画を見つけました。

 

 

 

 

 

 

 

 

母校ですにっこり

 

 

なんだかあの頃よりも、

いろいろとグレードアップ

していて驚きました。

 

 

あの図書館。

 

当時はほとんど

興味がありませんでしたが。

 

今だったら毎日、

入り浸りそうですニコニコ

 

 

クリスマスツリーも、

当時からありましたが。

 

点灯式までは

やっていなかったような?うーん

 

 

でもあの学校は、

さすがミッションスクールな

だけあって。

 

クリスマスの頃の行事は、

すごかったですニコニコ

 

 

あの頃は。

 

学校で過ごす毎日は

当たり前のことすぎて。

 

なんとも

思っていませんでしたが。

 

 

あぁ。

この環境で受けた影響って。

 

とても

大きかったのだなぁ。と。

 

今はしみじみ、

思いますおやすみ