「銀河英雄伝説 Die Neue These 星乱」第一章をみて… | 身近に癒される芸術セラピー

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こんにちは。
プロフェッショナル心理カウンセラーの溝俣です。
去年の4月にリメイクされた「銀河英雄伝説」の続編が映画として上映されているので、観に行ってきました。
この銀英伝には、およそ30年の歴史があります。今回テレビでリメイクされた作品をみて、私の中にいろんな思いや感情がありました。

銀英伝の30年は、私の人生と共にあると言っても過言ではないからです。
それがリメイクされ新しい世界になったとき、正直私は戸惑いました。
10代の多感な頃から観てきた作品なので、使用される音楽やキャラクターたちが着用している軍服など、前作の世界観そのものが「銀河英雄伝説」だったのです。
今まで何度もこのアニメをみて、その時々の自分のこころをキャラクターに映し出し、泣いたり、励まされたり、感動してきた作品だからこそ、キャラクターを演じている声優さんの声、演技は私の頭の中、こころの瞳に深く焼き付いているのです。
もう、「キャラクター=声優さん」といっても過言ではないでしょう。

そういう長い歴史を持つ作品のキャラクターを演じることは、演じる側にとって自分の演技が受け入れられるのかという不安と、前作と比較され評価にさらされるプレッシャーがあると思います。
しかも観客にとっては、長い間すりこまれたジャッジの基盤があるため、前任者が優れた表現者であればあるほど、それには及ばないという演じる側には厳しい評価にさらされます。

リメイクされたアニメをみた当初、私は、こんなの銀英伝じゃないと思いました。
私が最も違和感を覚えたのは、ラインハルトとキルヒアイスの声でした。
だから正直、続編の映画もこの二人に対しては、それほど期待はしていませんでした。

でも、私のその思考は間違っていました。
特にキルヒアイスの演技は、まさに一皮むけた感じがしたのです。

演じる側が、どれだけキャラクターと向き合い、作品と向き合い、自分と向き合ってきたか、そしていかにそのキャラクターを味わい、自分のお腹で消化してきたのか、その労力が十分味わえる演技になっていたのです。
きっと色々考えただろうな、悩んだろうな…そう思います。
これからさらにこの映画は続きますが、ちゃんと演じる側が、自分のものとして消化されたラインハルトやキルヒアイスがみられることでしょう。
とても楽しみです!もう一度観たいと素直に思いました。

演じるキャラクターを頭で理解するのではなく、自分のお腹で消化する…

この作業は、私たちの仕事にも通じることだと思います。
頭で理解しているのと、ちゃんと消化されて自分のものになっているのでは、相手のこころに届く熱量が断然違います。

自分の感情や価値観と、仕事で扱うそれをごちゃまぜにしない、そういうことがシンプルにできる人が優れた表現者であると、私は思います。
そのためには、プロフェッショナルとして自分を鍛練することに向き合い続ける…そのあり方を手放さない姿勢が大切なんだと強く感じました。