法久寺から道路を挟んで…1分!
養泉寺へ
養泉寺 【ようせんじ】
「権輿雑集」に引く寺伝に「開山実山禅真和尚者、相州之産、彼地兵乱故、離郷行脚、伊勢参宮之序、松ケ嶋に止宿、語其家主云、我是行脚之僧也、此辺若有棲息之地、可留錫、主云、当郷有古寺、謂養泉寺、此寺年代深遠而堂宇幾飽風霜、今幸無住也、遂相約令住持」とあり、開山禅真が相模国から流浪して松まつヶ島しま養泉寺に住持として定住した経過を記し、次いで松坂城下建設とともに移転したこと、禅真が勅許を得、紫衣などを与えられ永照禅師の号をうけた事情などを述べられています。
道路から伸びた参道から山門へ
手水
龍があり…
観音様がありと…
豪華共演ですね
観音様…色っぽいですね
本堂
御本尊
釈迦如来
釈迦如来
仏教の開祖
古代インドの小国、釈迦族の王子で本名はゴータマ=シッダールタ…とか
妻や子供もいた実在の人物で、釈迦如来とはその釈迦が悟りを得た姿をあらしています
釈迦は、母である摩耶夫人の右わきから生まれたといわれています
釈迦は、母である摩耶夫人の右わきから生まれたといわれています
(右わきから生まれた…
実在の人物…)
また、生まれたばかりのとき、7歩歩いたあと天地を指さし「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」と言われたことは有名とか
(生まれてすぐに歩いて…喋った…)
このときの姿をあらわしたものが、誕生釈迦仏と呼ばれています
この世で1番尊いのは自分であるという意味に誤解されがちですが、ひとりひとりが尊い命で聖なる使命を持ってこの世に生まれてきたという意味とか
29歳で出家し、35歳で悟りを開き真理に目覚めてからは、仏陀(ぶっだ)・釈迦牟尼世尊(しゃかむにせそん)・釈尊(しゃくそん)、如来などと呼ばれるようになりました
この頃は人々に説法を説いていたそうです
その後、釈迦は沙羅双樹の下で80歳で入滅(死去)したと伝えられています
十大弟子を眷属として従えています
十大弟子を眷属として従えています
十大弟子とは、仏法を守護する天龍八部衆、釈迦の主要な弟子達
また釈迦三尊として文殊菩薩と普賢菩薩と並ぶ姿が多いんよ
さらに阿難(あなん)・迦葉(かしょう)の2尊者を加えた五尊像や、天竜八部衆を加えた群像もあります
境内にはお庭もあり…
手入れは素晴らしいです
蔵…
中には何が入ってるのか…
気になりますね
袴つきの鐘楼
それも…コンクリート製
木造の袴はよくあるけど…
コンクリートは珍しい!
何かの祠…
この養泉寺…情報が少なくて…
謎
祠の狛犬さん
めちゃ小型で…可愛いかったです
五重塔が五重である理由は、五大思想を示しているため
仏教における五大思想は「宇宙は地、水、火、風、空の五つの要素から構成されている」とする考え方なんだとか
そのため五重塔の屋根は下から地、水、火、風、空を表し、仏教の宇宙観を示しています
日本に多くある仏塔が五重塔ですが、他の種類には三重塔、七重塔などがあります
いわゆる多重塔には三、五、七、九、十三と奇数であるものが多いんよ
奇数は縁起の良いものであると考えられてきたことが分かりますね
狛犬の最終進化形
ポケモンかぁ~
楼門
2階建ての門で、一階部分に屋根(下屋)を持たない門の総称
2階部分には高欄が配置されている物が一般的なんよ
「楼」という文字は、「高く構えた2階建ての建物」意味なんやって
開梆
「開梆」(かいぱん)は、黄檗宗の寺院に特有の木製の法具で、時刻を知らせるためのもの
隠元禅師が渡来した際、日本に伝えました
隠元禅師が渡来した際、日本に伝えました
魚の形をした鳴らし物で、その形状から「魚梆」(ぎょほう)「魚板」(ぎょばん)「魚鼓」(ぎょこ・ぎょく)とも呼ばれています
また食事の時刻を告げる物であることから、「飯梆」(はんぽう)とも言われるとか
中国の禅宗寺院の生活規範「勅修百丈清規」の法器の章「木魚」の項に、「相伝えて云う、魚は昼夜常に醒む。
中国の禅宗寺院の生活規範「勅修百丈清規」の法器の章「木魚」の項に、「相伝えて云う、魚は昼夜常に醒む。
木に刻して形を象り、之を撃つ。昏惰を警むる所以なり」と、開梆(魚板)を叩く理由が記載されています
昼夜目を閉じない魚は不眠不休を表し、「魚のように昼夜の別なく寝る間を惜しんで、日夜修行に励むように」という修行僧への戒めとして、開梆(魚板)を打つとのことなんやって
開梛は、口に丸いものをくわえています
昼夜目を閉じない魚は不眠不休を表し、「魚のように昼夜の別なく寝る間を惜しんで、日夜修行に励むように」という修行僧への戒めとして、開梆(魚板)を打つとのことなんやって
開梛は、口に丸いものをくわえています
これは、あぶくで「煩悩珠」と言い(宝珠、くわえ玉と称すお寺も)、「貧・嗔・痴」の三毒を表しています
行った時…御朱印貰えんかった
してないと…言われたんよ
以前は貰えたのに…
この御朱印は以前に頂いたの
三重県松阪市中町1978
松阪駅南口から徒歩すぐの場所にあります
養泉寺の近くに
朝9時からオープンしてて…
町の鰻屋さんの大口屋さん
昭和チックな店構え、看板のお店入口入るとうなぎが籠が積み上がり中でにょろにょろ、上から水のシャワーが
昭和チックな店構え、看板のお店入口入るとうなぎが籠が積み上がり中でにょろにょろ、上から水のシャワーが
まさに活き活きうなぎの牙城、うなぎセンターやぁ
奥に8畳ほどの和室あがりで4テーブルほどイートインスペースがあり、あとは2階座敷
イートインで頂きました
お重とお椀の蓋を取ると、ツヤツヤのウナギさんと澄んだ肝吸いがこんにちは
色鮮やかな3種のお漬物も従えて、お盆の上で華やかな競演
先ずはウナギさんから、ご飯の上にどーんと1尾乗ったうなぎ
和室の壁にも掲示された「三河一色産」とか
国産鰻がこの値段で…
タレは甘さ強めのパワフルな印象で、ご飯の炊き加減は硬めでイイ感じ
背開きだけれど焼き方は所謂関西風で、蒸さずに直接焼いているようです
と…言いつつ…あっという間に完食
美味しかったです
肝吸いは三つ葉の香りも良く、いい塩梅のスッキリした味わい
お漬物(しば漬け、たくあん、青かっぱ漬け)で箸休めもしもって
松阪駅から266m
三重県松阪市中町1984-1